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まあ思いついたことをつらつらと書き綴っています(写真は奥多摩から見た富士山)。


by M.M@Kanagawa
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NHKの大河ドラマと連動して,歴史館などでは同時代の出来事や人物に焦点を当てた企画展をやったりしますが,横浜市歴史博物館でも大河ドラマ「平清盛」との関連で,平安末期~鎌倉初期に活躍した秩父平氏の武人,畠山重忠を取り上げて企画展を催しています(2012年10月13日~11月25日)。

【関連情報】
特別展 畠山重忠 -横浜・二俣川に散った武蔵武士-(横浜市歴史博物館)
横浜市歴史博物館トップページ

横浜市歴史博物館の場所は,横浜市営地下鉄センター北駅(横浜駅から10駅目,所要時間約23分)から徒歩5~10分程度で,詳細は下の地図をご覧あれ。

もともと埼玉県にかかわりの深い畠山重忠(現在の埼玉県深谷市の生まれ)を,なぜ横浜市の歴史博物館が取り上げるのか?

それは,畠山重忠の最期の地が横浜市旭区の二俣川(現在では,自動車運転免許試験場があることで有名)だったからでしょう。

彼は,鎌倉幕府内の陰謀により謀反の嫌疑をかけられ,虚報によりおびき出された末,少数の手勢(135騎と伝えられている)だけで数万騎の討伐軍と戦い,討死(一説には自害)したそうです。

「吾妻鏡」の伝える135騎に対して討伐軍数万騎というのはかなり大げさで,当時の動員能力から考えればせいぜい数千騎がいいところだと思いますが,数千騎でも多いですよね。
この「数万騎」というのは,畠山重忠の強さに対する北条氏側の評価(恐れ)の表れでもあったのでしょうね。

畠山重忠は,剛力の持ち主で,誠実な人柄のうえにかなりな人格者(さらにイケメン)だったと伝えられていて,それを伝えるエピソードも「平家物語」や「吾妻鏡」を筆頭に様々な文献に記されているそうです。

そのなかでも,彼の剛力と人柄を伝えるエピソードの一つとしてこんなものがあります。

1184年,一の谷の合戦で源義経が「鵯越えの逆落とし」をした際に,畠山重忠は愛馬を背負って崖を駆け下りたという逸話があります。

愛馬を慮ってのこととされていますが,いくら怪力の持ち主(永福寺建立の際に,人足十数人分の材木を担いだと伝えられる)でも,馬が暴れて崖を降りるどころの話じゃないだろうと思うのですが,さすがにこれは眉唾だろうというのが通説らしいです。

これ以外にも,さまざまな文献で彼の剛力・人柄の良さが伝えられています。

私も,今回の横浜市歴史博物館の企画展で畠山重忠という武将について初めて知った次第ですから,詳しいことはわかりませんが,嫉妬と猜疑心に駆られて内輪もめを繰り返し,結果として平氏に後塵を拝し,北条氏に権力を奪われてしまった源氏のお歴々とはえらい違いだなあと思いました。

畠山重忠という人物は,当時の武将としては類まれなキャラクターの持ち主だったということができると思います。

まさしく「もののふ」の名にふさわしい人物と言えるかもしれません。

【畠山重忠関連の情報】
武蔵武士 畠山重忠辞典(川本出土文化財管理センター・深谷市教育委員会)
畠山重忠(Wikipedia)
by mmwsp03f | 2012-10-19 11:44 | HP(歴史)
グローバル化の動きに合わせて,英語の社内公用語化や小中学校におけるより実践的な英語教育の導入とかが話題になっていますが,それ以前に日本語教育をどうにかしたほうがいいんじゃないかという意見もあります。

英語教育以前に日本語教育をきちんとすべきという意見の正当性を裏付ける現実は,そこかしこに見られるわけですが,その割には文部科学省のエリートの皆さんは全く眼中にない様子。

下にあるような,おかしな日本語表現を指摘する本って,書店に行くとよく見かけますよね。

問題な日本語―どこがおかしい?何がおかしい?

北原 保雄 / 大修館書店

その表現は間違っています。正しい日本語表現はこうですよ。という指南書は数多く出版されているのですが,実際のところ,それが教育の現場で生かされているとはいいがたいのが現状です。

日本の教育は,今までインプット中心でアウトプットがおろそかにされてきました。
あ,ちなみに試験で自分の知識を問われるのは,この場合アウトプットとはみなしません。どちらかというとプリントアウトに近いかな。

コンピュータとかの場合,アウトプットというとインプットされた内容を忠実に再現することを意味していますが,人間の場合,様々な解釈や表現上の装飾,文言の付加または省略などが施されていたりしますので,インプットされた内容の忠実な再現ではありません。

まあ,へたをするとインプットされた内容と全く違うものが言葉としてアウトプットされてしまう危険性があるわけです。
「言いたいことの半分も言えなかった」という経験は誰しもあると思いますが,それはなぜかと言えば,十分なボキャブラリーが培われていないからに他なりません。
つまり,言葉の意味,適切な言葉の使い方,使える言葉の種類などが身についていないからです。

ちゃんとした日本語表現の訓練をしていれば,いらぬ誤解を招いたりすることも少なくなって,対人コミュニケーションもより円滑になると思うんですけどね。

では,文筆を生業としている文章のプロはどうでしょうか?
正直言って,良いとは言えないのが現状ですね。

たとえば,産経新聞の下記の記事。

【ニュースソース】
【主張】「尖閣」政務官発言 許されぬ実効統治の否定(産経ニュース)

ちゃんと推敲しているのか,大いに疑問なコラムです。

この記事の中で,特にここに注目!
 実効的に統治していることは「領土」の重要な要素であり、尖閣が日本の主権下であることを内外に示す決定的な意味がある。
どこがおかしいかわかります?

産経新聞は,韓国による竹島の実効支配についても批判を展開しているわけですが,そのくせして尖閣の実効支配は領土の重要な要素で決定的な意味があるとしています。
この論法で言うと,竹島は韓国の領土と認めているようなものです。

産経新聞は,そのことにちっとも気づいていないようですがね。

ちなみに,日本語表現の問題とはちょっと違うのですが,こういう大手メディアがよくやる手法で,注目を集めたいがためによくやる文脈の「間引き」も大いに問題です。

たとえば,下記の記述。
尖閣諸島をめぐり、鷲尾英一郎農林水産政務官が「中国政府が所有してもいい」と語った。
どういう文脈でこのような発言になったのか,一言も書かれていません。

別の産経の記事でも
鷲尾英一郎農林水産政務官は10日、沖縄県・尖閣諸島について、「中国政府が所有したっていい」とした前日の自らの発言に、「(誤解を招く発言だったが)本意としては、政府が国有化したことに断固賛成だ」と釈明した。農水省内で記者団に答えた。
鷲尾農水政務官が尖閣発言で釈明 国有化に断固賛成 藤村氏は注意
とあり,どういう経緯でそのような発言が出てきたのかが全く触れられていません。

単に鷲尾英一郎政務官のボキャブラリーのなさからの発言なのか,何か別の意図があっての発言なのか,ただ単に「中国政府の所有にしたっていい」という言葉だけが独り歩きしているような感じです。

こういう意図的な文脈の「間引き」をする前に,記事を書く側の文章力を何とかしてほしいものです。

ちょっと本筋から外れてしまいましたが,要するに文章のプロであるはずの新聞記者がこの体たらく。
英語教育の拡充も必要でしょうが,それ以前に母国語教育を何とかしないと駄目なんじゃないの?と思うわけです。

試験に合格しなければ小学生でも留年がある母国語学習が徹底したフランスのようになれとは言いません。
せめて,インプット中心の学習からアウトプット学習を取り入れたバランスの良い教育システムへの転換を図るべきじゃないかなと思うのです。

具体的には,ディベート学習の機会をより多く設けること。

これまでの日本の教育は受け身中心で,自分が学習した成果を表明する機会は筆記試験にほぼ限られています。
実際に言語を使う場面というのは紙に書いてマルをもらう場面ではなく,他者との対面での会話の中で相手の表情やしぐさなどを観察しながら意思疎通を図る場面です。

受け身の教育が身にしみついた子どもたちは,必然的に自分の意見を発することが少なくなります。
当然,学級会とかで意見を求められても,「特にありませ~ん」となります。

めんどくさいということもあるでしょうが,自分の意見をうまく相手に伝えるコミュニケーション技術が培われていないため,引っ込み思案になってしまうのです。

そうなれば,結局お互いのことが解らないまま,相手のことも知ろうとしないという環境が形成されてきます。
学校という集団の中にいながら,個々人が孤立していくという状況に陥っていくわけです。

このような環境でいくら英語教育を徹底したところで上達の見込みはほとんどないでしょう。

母国語でのコミュニケーションがうまくできない状態で外国語のコミュニケーションがうまくいくはずありません。
まずは,母国語によって「相互理解」を深めるための技術をディベート学習を通じて養っていくことが大前提でしょう。

この「相互理解」ってところが,私は「いじめ問題」への有効な手立てにもなると思っています。

会話のない関係は,コミュニケーション形成の機会を奪うだけではなく,相手を「怪しい人物」とみなすようになり,疑心暗鬼の関係を築きあげることになります。

それに対して意見をぶつけるというディベートは,「歩み寄り」「相互理解」の機会を与えてくれます。

相手が正体不明な人間だから,係わり合いになりたくない,排除するという方向へと陥ってしまうのだと思います。

母国語教育の本来のあるべき姿は,単に正確な表現で相手に自分の意思を伝えるというだけには止まりません。
どういう場面で,どのような表現を使ったら相手に自分の意図を理解してもらえるのかを理解させることも必要不可欠です。

当たり前のことですが,言語を使ったコミュニケーションは「相互理解」を基本としています。
ところが,現在の母国語教育は「相互理解」のための技法を身についけるようにはできていません。

外国語教育拡充の前に,まずやらなければならないのは母国語を活用したコミュニケーション技法を身につけさせることではないでしょうか。
by mmwsp03f | 2012-10-11 14:25 | 日々雑感

「自己PR」の虚構

今この時も,就活で内定をもらえず苦労している学生は数多いことと思います。また,再就職のための活動で苦労している失業者もかなりな数に上ります。

たぶん,就職活動でもっとも苦労することの一つが「自己PR」。

よく面接担当者が就活で学生に対して「○分以内で自己PRしてください」なんてことを要求したりしますが,私はこれ自体大して意味のある質問だとは思いません。

ネットを眺めていて,たまたま私同様に「自己PR」は不要だという主張をしているブログを発見したので,ちょっとご紹介。

【情報源】
面接において「○分間で自己PRをお願いします」なんて会話はいらない(ブログ「就活生に甘える社会人」)

このブログ主の方は,自己PR・自己分析を意味のないものというよりは,全く不要と完全否定をしています。
他の記事を見てもかなり過激な主張もあったりするのですが,大体において的を射た発言が多いようです。

で,当の自己PRに関するブログ記事を読んでいくと,下記のような記述があり,確かにその通りだよねと思った次第。
「○分間で自己PRをしてください」との質問は、「はい、私の強みは○○です。学生時代、私は~な活動に取り組み・・・」というテンプレを答えることにつながりやすい。就活生のマニュアル依存が批判されるけれど、自己PRを求める質問に対しダイレクト且つ簡潔に答えようとすると、どうしてもテンプレ通りのものになるのは避けられない。それに対して雑談面接だと用意してきた答えを喋ることは少なくなり、自然な会話が成立しやすくなるのは想像に難くない。
質問の仕方で受け答えが変わるのは当然のことで,マニュアル化された質問に対しては,大概マニュアル化された答えが返ってきます。
マニュアル化された答えというものは,内容が形式的になりがちで,実際に答えた側の本音や思いが伝わりにくいものです。

それに,面接担当者が自分からマニュアル化された質問をしておきながら,回答する側にはマニュアル化された回答を否定するというのはおかしな話であって,もし相手のことをちゃんと見定めたいと思うのであれば,質問の仕方を工夫する,本音を聞き出せる雰囲気づくりに配慮するという努力を惜しんではなりません。

ところが自分たちのことは棚に上げて,「○分以内で自己PRを…」に対するマニュアル化された回答に対して否定的なことを言ったりします。

私も同様のことを,学生時代ではなく数年前に経験しました。

東証2部上場のとある有名進学塾の中途採用の面接で,開口一番「○分以内で自己PRをしてください」ときました。
それで,自己PRらしきものが終了した時点で「あなたの言っていることには説得力がない」と言われてしまいました。

当然,自分の回答のしかたにも問題があったことは事実ですが,「自己PR」が終わった時点でその内容を否定できるだけの材料はないはずなのに,「説得力がない」とする主張には正直閉口しました。

会社説明会と称して自社の自慢しかしていない,何度もコピーを繰り返して文字がつぶれてしまっているような採用試験問題(解答用紙は解答欄が斜めになっていました)を使っているような会社でしたので,明らかに採用選考の手間をかけないようにしているということがありありと見て取れました。

このことから,自社を支える人財を得るための採用選考の手間を極力抑えようという意図が垣間見えます。

その会社は頻繁に社員募集広告を出していますので,自社にとって必要となる人財を確保できなかったか,獲得してもすぐに辞められているかのどちらかだと思います。

結局は,面倒くさがって手間を省いた結果が離職率の更新と頻繁な採用選考の繰り返しにつながっているわけです。

いうなれば「○分以内で自己PR」は,採用選考における怠慢の象徴なのです。

以前にも何度か書きましたが,自社の採用選考に手間暇を惜しんではいけません。
自社を支える人財を発掘する貴重な機会なわけですから,どうしたら有能な人財を獲得できるのか,どのような採用選考をすればよいのかを考え続けることが肝心なのです。

それを惜しんで,「有能な人がなかなかいないよね」というのは勘違いもはなはだしいと言わざるを得ません。
今までの就活の慣例で失敗を繰り返しているのにもかかわらず,再考しようとしないのは愚の骨頂と言えます。

私は「自己PR」自体を完全否定するものではありませんが,ただ「○分以内で自己PR」などという,面接を受ける側への単なる丸投げという怠慢を繰り返すことは人事の主要な目的を放棄しているのと同じことです。
どうやったら相手の能力を見極めることができるか,もっと効果的な人財発掘の方法は人事の最重要課題のはずです。

人事は,いいかげん「○分以内で自己PR」に象徴されるような怠慢から脱却すべきなのです。
by mmwsp03f | 2012-10-03 12:38 | 日々雑感