まあ思いついたことをつらつらと書き綴っています(写真は奥多摩から見た富士山)。


by M.M@Kanagawa
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第九陸軍技術研究所(その6)

登戸研究所は,もともと現在の神奈川県川崎市多摩区東生田にありましたが,アメリカ軍の攻勢が激しさを増し,戦局が不利に展開するのに伴って,より安全な場所へと移転することになります。

移転を決定付けたのは,1944年9月のアメリカ海軍の艦載機(恐らくグラマンF6F)による複数回に及ぶ空襲だったと見られています。
この事件後,すぐに参謀本部の命令によりアメリカ軍機の空襲を回避できる地域に分散疎開することが決定しました。
かなりあわただしく疎開候補地の選定と準備が勧められたそうです。



登戸研究所は海岸線からかなり離れた場所にあり,相模湾沿岸の茅ヶ崎から20km以上(九十九里浜からであれば50km以上)離れています(証言では茨城の日立沖からも来襲したとのこと)。
そのようなところに空母艦載機が空襲を敢行できたということは,日本の近海にまで敵艦隊の侵入を許すほどに海軍の防衛力が弱まり,かつ防空・迎撃能力が著しく低下していたことを示しています。

アメリカ軍に登戸研究所の位置が知られた以上,この場所に留まることはできません。
そこで空襲を受けることがないと思われる,以下のような太平洋岸から離れた土地へと移転することになったのです。

長野県上伊那郡・北安曇郡
 本部,第二科,第一科および第四科の一部
福井県武生町
 第三科
兵庫県氷上郡小川村
 第一科および第四科の一部


移転先では,主に国民学校校舎や集会所,倉庫,個人の邸宅などを間借りして研究・開発が進められましたが,それも半年とたたずに終わりを迎えます。
8月15日の玉音放送による敗戦宣告の翌日には,陸軍省軍事課からの極秘通達によって機密資料・秘密兵器すべてを残らず処分することとなり,徹底した証拠隠滅が図られることになりました。

これによって登戸研究所の秘密戦研究は闇に葬られるはずだったのですが,やはりこれだけの規模で研究開発が進められ,多くの人がこの事業に携わってきたわけですから,どうやっても痕跡は残ってしまいます。
それに人の口に戸を立てて口外しないようにするというのは,なかなか難しいものです。

GHQが伴繁雄氏ら元所員のもとを尋ねてきたのも,元登戸研究所所長の篠田鐐中将がGHQに提出した研究所に関する報告書によって実態が判明したからでした。

それに長い間,口を閉ざしてきたとはいえ,登戸研究所の実態を追究する市民や高校生たちの活動に共鳴し,証言を行う人が現れたということは,そのまま隠し続けることへの心理的な重圧とともに,後世に伝えるべき重要な事実だと元所員の人々が考えたからでしょう。

このような歴史的事実へのあくなき追究の姿勢が,秘密のヴェールに包まれていた登戸研究所の秘密戦研究を世に知らしめることになったのだと思います。

d0104959_14271942.jpg【登戸研究所資料館・碑文】

資料館の横に立っている石版碑文に刻まれている「設立趣旨」です。

「戦争の暗部ともいえる部分を直視し,戦争の本質や戦前の日本軍が行ってきた諸活動の一環を,冷静に後世に語り継いでゆく」ことの重要性や,「戦争遺跡として保存・活用することを目指して地道な活動を続けてきた地域住民・教育者の方々との連携の場」としていくことが語られている。


ただ注意したいのは,登戸研究所のマイナス面だけではなく,プラス面もあわせて認識する必要があるということです。

例えば,怪力電波の原理は現在の電子レンジに応用され,現代人の快適な生活に欠かせない技術を提供しています。
また,毒物研究は解毒剤開発や血清治療の発展に貢献していますし,科学的鑑識法として確立されている指紋検出法も登戸研究所の研究成果を発展させたものです。

この他にも,登戸研究所の研究成果は我々の生活の中に大きな影響を与えています。

科学技術というものはそれ自体は「悪」ではなく,いかなる目的・方法でもって研究・開発を行うかで「善」にもなれば「悪」にもなるということです。

最後にこの特集を締めるにあたって,元第二科研究員であった人が,明大生田キャンパスを訪れた際に語られたという言葉を記しておきたいと思います。

ここの臭いと雰囲気,そして研究している対象は登戸研究所第二科のときと変わらない。違っているのは,目指す方向が人間生活にプラスになるものを追究しているか,マイナスになるものを追求しているかだけだ。


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【日章旗に記された寄せ書き】
登戸研究所資料館所蔵

(登戸研究所資料館より撮影およびブログ掲載について許可をいただいています)
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by mmwsp03f | 2010-06-24 15:55 | HP(歴史)