まあ思いついたことをつらつらと書き綴っています(写真は奥多摩から見た富士山)。


by M.M@Kanagawa
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さて前回からの続き。2回に分けていつもより画像をより多めでお送りいたします。

今回は,顕鏡寺から石老山山頂までのルートです。
私がたどったルートは,まま下記のサイトに地図付きで掲載されていますので,そちらもご参照ください。

【関連情報】
石老山コース(いい~さがみはら:相模原市観光協会公式ホームページ)

今回私は,石老山入口のバス停(神奈川中央交通)から入るオーソドックスなルートをたどることにしました。

バス停近くに登山者用の清掃の行き届いたトイレがあったので,この先しばらくトイレがないだろうと思い,利用させていただくことにしました(実は顕鏡寺にも参拝者用のトイレがありました)。

ここで,新年初サプライズ!

トイレで用を足そうとしたところ,いきなり頭上でばさばさいう羽音が聞こえ,上を見上げるとスズメ一羽が天井を行ったり来たり大騒ぎ。
ところが用が済んだころ,静かになったと頭上を見上げたところ,件のスズメがどこにも見当たりません。
出入りできる隙間も無いようでしたので,おそらく隙間に入り込んでじっとしているんでしょう。
扉をあけ放って逃がしてやろうと思いましたが,いかんせん出てくる気配がない。
仕方がないので,「閉じ込められて大丈夫なのかな」などとと思いつつ,登山道へ向かって歩き出しました。

登山道の入口は,相模湖病院の脇にあり,この道をたどって顕鏡寺へと至ります。

はじめは平坦だった道も,途中からゴツゴツした歩きにくい岩場の道へと様変わりします。この岩場の道が湧水がちょろちょろと流れているので,さらに歩きにくい。
距離は大してないのですが,この道のせいで寺に至るまでには少々時間がかかります。

【顕鏡寺】
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顕鏡寺は,都落ちした貴族の若君と姫君との間に生まれた源海法師という平安時代の僧侶が創建した真言宗の寺院だそうです。

【関連情報】
石老山 顕鏡寺(相模湖観光協会)
相模湖の散歩道~顕鏡寺(相模湖商工会)

上の写真の左側が本堂ですが,源海法師がこの場所に庵を建てて住んでいたわけではなく,実際に住んでいたのは本堂から見て,右斜め前の崖に掘られた洞窟だそうです。

【道志岩窟】
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源海法師が実際に住んでいたとされる洞窟。

【顕鏡寺鐘楼】
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寺の本堂の向かい側のちょっとした高台にある鐘楼。寺の住職とかが見当たらないのに,顕鏡寺の前後の道を行く途中で鐘を打ち鳴らす音を聞きましたので,どうやら参拝者が勝手に鐘をついてもいいようです。

石老山は巨岩・奇岩の宝庫で,顕鏡寺に至る道にも仁王岩とかの巨岩がそそり立っていたのですが,顕鏡寺から石老山山頂に至るまでの山道のあちらこちらに散在しています。

弁慶の力試岩(岩にこぶしが一つずつ入る大きな2つの穴開いています)とか,試岩(とある武士が大刀と小刀でそれぞれ試し切りをしたという岩)があったりと,いわくつきの巨岩・奇岩が目白押しです(途中まで,解説がされているプレートが岩のそばに立っています)。

【談合平見晴台より相模湖を望む】
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巨岩・奇岩の展示場を過ぎて登っていくと,山の中腹あたりにちょっとした休憩スペースがあります。
そこから,相模湖の全景を拝むことができます。

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山道は右上の写真のように岩の間を潜り抜けるようなところもありますが,山頂に近づいてくると比較的なだらかなところが多くなります。左の写真のようなどこの山道でも見られるなだらかな杉並木の道もあります。

そんなこんなで到着した石老山山頂。ゆっくりと休憩できる机とベンチがちゃんと備えられています。

【石老山山頂】
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【石老山山頂の解説版】
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昨年登った金時山に比べて,元日の石老山への登山者はそれほど多くなく私が山頂に到着した時には,お一人いらっしゃるだけでした(遅めの朝食中の模様)。

で,ここで前回にも掲載した富士山の写真を数枚パチリ。
前回は,引き気味の写真でしたので,今回は寄り気味の写真を掲載。

【石老山の富士】
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私は,ここで先着者の方とちょっとだけ「いい天気になってよかったですねー」などというたわいのない話をして,写真を撮り終わったら,休憩もそこそこに大明神展望台へ向けて出発。

さて,次回は石老山山頂から大明神山の展望台を経て下山しますよ。
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# by mmwsp03f | 2013-01-04 11:36 | 観光

岩石の山をわたる

皆様に新年のご挨拶 <(_ _)>

Hyvää Uutta Vuotta!(フィンランド語の新年のあいさつ。ほぼローマ字読み)

さて,2か月ほどブログの更新をサボって後の2013年初投稿です。

今年も毎年恒例の年明けトレッキング(私だけの年始イベント)へ行ってまいりまして,その時写した画像を今回もご披露したいと思います。

今回登ったのは,神奈川県相模原市緑区(旧相模湖町)にある石老山(せきろうざん)ならびに大明神山で,私がたどったルートはまんま下記の相模原市観光協会のサイトに地図付きで掲載されていますので,行ってみようかなと思われた方は,こちらを参照ください。

【関連情報】
石老山コース(いい~さがみはら:相模原市観光協会公式ホームページ)

昨年も年始の初投稿の際に,初登頂先(金時山)の山頂からの富士山の写真をアップしたので,今年もまずは石老山ならびに大明神山の展望台からの「初富士」をお披露目したいと思います。

【石老山の山頂から眺めた富士山】
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【大明神山展望台から眺めた富士山】
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今回登った石老山は関東百名山に数えられる山ですが,標高694mでそれほど高い山ではないのでトレッキング初心者にとっては割と敷居の低い山と言えます。

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今回登ったルートは「東海自然歩道」という高尾山から大阪の箕面に至る登山道の一角の全ルートの10,000分の1にも満たない短いもので,朝の7時から登って正午前には下山完了という比較的お手軽なコースです。
しかし,この山は岩山で岩だらけの場所を通過することが多く,大して高くないから大丈夫と甘く見ていると痛い目を見ます。

私は顕鏡寺から登るルートをとったのですが,登山口から顕鏡寺へ至るルート(約20分ぐらいかかる距離)も岩場が続き,寺の手前の山道は湧水が流れていて滑りやすいところもあります(う回路もありますが,正規の登山道を行くのであれば注意が必要です)。

それに岩だらけのゴツゴツした山道は,何といっても膝にきます。
特に下山の時は要注意で,着地時のショックが土の場合とちがって岩場ではかなりキツイと思います。
そして,足場が安定しているわけではないのでねんざの危険性も高いと思います。
岩に苔が付着していることもあるので,その上を通るとき滑落する可能性もありますから,特に湿気の多い場所は慎重に行動することが肝心です。

標高の低い山は大したことないだろうという思い込みは禁物です。
そういう思い込みによって,毎年山での遭難者が続出していることはニュースでも頻繁に報道されていますからね。
たとえ,低い山で初心者コースに設定されていたとしても,普段着で登れるような,かなり山道が整備されている山でない限り,そこかしこに危険が潜んでいると警戒を怠らないように…。

山をなめてかからず,楽しいトレッキングライフを満喫しましょう。( ̄▽ ̄)ノ

さて,実際の登山ルートをたどった際の状況については,次回に回すこととして,今回はとりあえず導入ってことでここまでにしたいと思います。
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# by mmwsp03f | 2013-01-02 22:34 | 観光
NHKの大河ドラマと連動して,歴史館などでは同時代の出来事や人物に焦点を当てた企画展をやったりしますが,横浜市歴史博物館でも大河ドラマ「平清盛」との関連で,平安末期~鎌倉初期に活躍した秩父平氏の武人,畠山重忠を取り上げて企画展を催しています(2012年10月13日~11月25日)。

【関連情報】
特別展 畠山重忠 -横浜・二俣川に散った武蔵武士-(横浜市歴史博物館)
横浜市歴史博物館トップページ

横浜市歴史博物館の場所は,横浜市営地下鉄センター北駅(横浜駅から10駅目,所要時間約23分)から徒歩5~10分程度で,詳細は下の地図をご覧あれ。

もともと埼玉県にかかわりの深い畠山重忠(現在の埼玉県深谷市の生まれ)を,なぜ横浜市の歴史博物館が取り上げるのか?

それは,畠山重忠の最期の地が横浜市旭区の二俣川(現在では,自動車運転免許試験場があることで有名)だったからでしょう。

彼は,鎌倉幕府内の陰謀により謀反の嫌疑をかけられ,虚報によりおびき出された末,少数の手勢(135騎と伝えられている)だけで数万騎の討伐軍と戦い,討死(一説には自害)したそうです。

「吾妻鏡」の伝える135騎に対して討伐軍数万騎というのはかなり大げさで,当時の動員能力から考えればせいぜい数千騎がいいところだと思いますが,数千騎でも多いですよね。
この「数万騎」というのは,畠山重忠の強さに対する北条氏側の評価(恐れ)の表れでもあったのでしょうね。

畠山重忠は,剛力の持ち主で,誠実な人柄のうえにかなりな人格者(さらにイケメン)だったと伝えられていて,それを伝えるエピソードも「平家物語」や「吾妻鏡」を筆頭に様々な文献に記されているそうです。

そのなかでも,彼の剛力と人柄を伝えるエピソードの一つとしてこんなものがあります。

1184年,一の谷の合戦で源義経が「鵯越えの逆落とし」をした際に,畠山重忠は愛馬を背負って崖を駆け下りたという逸話があります。

愛馬を慮ってのこととされていますが,いくら怪力の持ち主(永福寺建立の際に,人足十数人分の材木を担いだと伝えられる)でも,馬が暴れて崖を降りるどころの話じゃないだろうと思うのですが,さすがにこれは眉唾だろうというのが通説らしいです。

これ以外にも,さまざまな文献で彼の剛力・人柄の良さが伝えられています。

私も,今回の横浜市歴史博物館の企画展で畠山重忠という武将について初めて知った次第ですから,詳しいことはわかりませんが,嫉妬と猜疑心に駆られて内輪もめを繰り返し,結果として平氏に後塵を拝し,北条氏に権力を奪われてしまった源氏のお歴々とはえらい違いだなあと思いました。

畠山重忠という人物は,当時の武将としては類まれなキャラクターの持ち主だったということができると思います。

まさしく「もののふ」の名にふさわしい人物と言えるかもしれません。

【畠山重忠関連の情報】
武蔵武士 畠山重忠辞典(川本出土文化財管理センター・深谷市教育委員会)
畠山重忠(Wikipedia)
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# by mmwsp03f | 2012-10-19 11:44 | HP(歴史)