まあ思いついたことをつらつらと書き綴っています(写真は奥多摩から見た富士山)。


by M.M@Kanagawa
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第0次大戦という認識

Googleでたまたま「第0次世界大戦」という語を見かけたものですから、1月29日にかようなツィートをつらつらとしてしまいました(12:45~13:21)。

最近、日露戦争をして「第0次大戦」という呼び方がはやっているそうだ。その呼び方については諸説あろうと思うけど、世界的規模での戦争というのであれば13世紀のモンゴルの大西進も世界大戦と位置づけられる(実際、そう主張している学者がいる)。これは「第-3次世界大戦」(補足:「だいマイナス3じせかいたいせん」と読む)ぐらいになるのかな?

ちなみに、日露戦争を「第0次世界大戦」と位置づけるのであれば、当然朝鮮戦争も「第3次世界大戦」となる。実際に朝鮮半島に派遣された国連派遣軍は米韓含めて22カ国軍に及び、対する中国・北朝鮮軍の他、ソ連軍が中国人民義勇軍に扮して参加しているので、「世界大戦」と呼ぶにふさわしい規模。

私は「朝鮮戦争」をして「第3次世界大戦」とする見方をかなり前から持っていたが、日露戦争を「第0次世界大戦」とする見解は持っていなかった。しかし、日露戦争が第1次世界大戦に至る国際関係を形成したという意味で世界史的に大きなターニングポイントになったという認識はもっていた。

日本史では、日露戦争をめぐる日ロ関係と日本の国際社会での地位向上ばかりが取り上げられるが、いかに当時の国際社会へ影響を与えたかを教えないと、この世界史的事件の本質を見誤ることになる。それは、この戦争の勝利に幻惑された後の軍部・政治家たちと同じ道を歩むことにもつながる。

現在ある日露戦争関係の書籍を読んでみれば判るように、日露戦争は欧米列強のパワーバランスが少なからず影響を及ぼしている。イギリスは中東・東欧におけるロシアの影響力低減を狙い、ドイツは極東での影響力拡大をねらって黄禍論をもってロシアをそそのかした。

まあ、日本とロシア以外の列強諸国は両者共倒れをひそかに願っていたわけだが、それは当然、これら2国が戦争で衰退すれば、世界分割でのライバルが減って他の帝国主義諸国にとっては都合がよかったからに他ならない。いわば日露戦争は「勢力と均衡」のパワーポリティクスを象徴する典型的な事件なのだ

「第0次世界大戦」というのは、このようなパワーポリティクスの象徴としての列強諸国間の争いとして捉えた場合の見解ということがいえるだろう。しかし、第1次・第2次世界大戦との決定的な違いは、日露戦争は参戦国が限定され、総力戦ではなかったということから、このネーミングには違和感がある。


「第0次世界大戦」という言葉は10年近く前から称えられているようですが、一般的にその言葉が多用されるようになってきたのは、2010年12月27日放送の「NHKスペシャル プロジェクトJAPAN 《坂の上の雲》の時代 第0次世界大戦~日露戦争・渦巻いた列強の思惑」という番組が放送されてからのようです。

【関連情報】
プロジェクトJAPAN ‐ ドキュメンタリー坂の上の雲の時代 第0次世界大戦(NHK)

司馬遼太郎の著作「坂の上の雲」のTVドラマ化と連動して放送された企画モノの番組で、かなりの反響があったようです。

実際に「第0次世界大戦」でググッてみると、このテーマを取り上げたブログ記事がかなりの数ヒットします。

で、この日露戦争を第1次世界大戦への前哨戦として捉え、「第0次世界大戦」と位置づける考え方については、先のツィッターでの私のつぶやきをご覧いただければわかるように、ちょっと変じゃないと思ったりするわけです。

実は、「参戦国が限定され、総力戦ではなかった」という点だけではなく、前哨戦という認識から「第0次世界大戦」と考える主張にも疑問をもっていたりします。

なぜなら、この戦争の結果、列強諸国の国際関係は大きく塗り替えられることになってしまったからです。

それまで敵対関係にあったイギリスとロシアが、この戦争後に協商関係を結んで接近し、それに伴ってロシアの同盟国で、これまたイギリスと険悪な関係にあったフランスとも協商関係を結ぶことになります(三国協商)。

世界分割をめぐってしのぎを削っていた英・仏・露三国の接近は、外交革命と呼ばれるほどに前代未聞の事件であったのです。

つまり、日露戦争当時と戦争後では全く国際関係が塗り替えられてしまっており、しかも日本とロシアもその後、(形式上)友好国としての関係をとりむすぶことになります。

こういった理由から、「前哨戦」というのはちと違うんじゃない?という疑問をもった次第。

あと、なぜ三国協商が成立することになったのかということを付け加えておきたいと思います。

通説となっている考え方としては、

1) 戦争とそれに伴う革命騒動によって国力が弱体化したロシアは、イギリスに対抗しうる力を保持することができず、結果イギリスに譲歩した

2) ロシアの弱体化に伴い、英・仏・露の世界政策に露骨な干渉をするドイツ帝国の驚異が顕著となったから

というものがあります。

特に2番目が三国協商成立の大きな要因といえるでしょう。
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by mmwsp03f | 2012-01-30 00:53 | HP(歴史)

続・金時山の富士

前回の続きです。

明日(1月3日)に更新するとか言いながら,その翌日の1月4日になってしまいました。
だってー,眠かったんだもん…(´ぅω・`)

さて金時山ですが,この山は標高1213mでそれほど高い山ではなく,通常登るのに要する時間が2時間半程度なのと景色が良いことで人気の山です。
なので,元日でも多くの人が登山にやってきていました(年配の方や小さな子連れの家族もいらっしゃいました)。

私が登りはじめた午前7時ぐらいの時間は,初日の出を拝もうと山頂にいらっしゃった方々が下山してくるのとよくすれ違いました。

下山してきた方から伺ったところでは,初日の出は残念ながらモヤがかかってよく見ることはできなかったけど,富士山はよく見えるとのこと。

俄然期待が高まる中,凍結しぬかるみ始めた悪路と意外と急峻な場所が続いたため,途中でヘバリそうになりながら,時々小休止を入れながら少しづつ登っていきました。

登っていく途中で多くの人とすれ違ったのですが,そのうち中腹より少し登ったところですれ違った仙石原観光協会の方から,元日登頂の記念に山頂で配っていた絵馬がひとつ余っているとのことで,それを頂戴することができました。

それがこれです(↓)

【上りの途中でいただいた絵馬】
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表が龍の絵馬なんですが,見たところ顔がどこかのなまず髭のオジサンみたいな感じ(笑)
ちょっとわかりづらいんですが,笑っているんですよ。
でまあ,裏が金太郎と相棒の熊ですね(金時山は,マサカリ担いだ金太郎の伝説で有名ですからね)。

なんだかんだで山頂に到着。
で,目にした風景がこれ(↓)

【1月1日の朝,金時山山頂より眺めた富士山】
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到着したときには山頂にそれほど多くの人はいなかったのですが,後から続々と人が登ってきてちょっとした賑わいになりました。
皆,口々に「いい富士だよね~」と話していました。

やはり,この景色を目当てに登ってくる人が正月でも多いのですね。

【富士と広がる大空】
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魚眼レンズで撮るといい感じに映るんですが,持っていないので仕方なく標準のズームレンズでパチリ。
午前中は,山頂に雲がかぶることなく絶景を堪能できたのですが,午後になると山頂は雲に覆われてしまっていました。
やはり,富士山の姿を拝むには午前中がベスト。午後になると雲隠れしてしまいます。

【金時山で富士山を眺めながらコーヒーを一杯】
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いやあ,山頂からの絶景を眺めながらのコーヒーは格別です(^▽^)

【仙石原の風景】
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ほとんどゴルフ場ですね。奥に見えるのが芦ノ湖です。

【金時山の名前の由来を記したプレート】
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金太郎伝説については諸説あるようですが,うちが本家本元と主張しているようです。
ちなみに坂田公時という人は,源頼光にしたがって酒呑童子という鬼を退治したと伝えられる武将だそうです。

【公時神社と神社への入口】
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坂田公時を祀ったとされる神社。
冬場の金時山登山の際は,こちらからのルートが凍結やぬかるみが少なくて良いと思います。

山頂にいると,「写真撮ってもらってもいいですか?」と声をかけられること数組。
なかには小学校低学年ぐらいの女の子を連れたご夫婦もいらっしゃいました。
帰りは断崖絶壁を降りてぬかるんだ道を四苦八苦しながら下っていかれたご様子(道の途中でまたお会いしました)。

下っていく途中でも,多くの人とすれ違いました。
なかには,半ぞでのシャツで登ってきた強者もいらっしゃいました。
そんな薄着で大丈夫?と聞いたところ,「いやあ,暑いからねえ。着替えもあるから大丈夫!」とのこと。
確かに暑かったんですよ。当日は日が照っていてわりかし気温も高めだったし…。

さらにひと組のご夫婦とすれ違う際にちょっと話をしたのですが,箱根で初日の出を拝むのであれば,十国峠へ行くと良いということを教えてもらいました。

ということで,次回は十国峠経由で岩戸山か城山へチャレンジするかも…。
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by mmwsp03f | 2012-01-04 18:49 | 観光

金時山の富士

皆様,謹んで新年のご挨拶を…

と堅苦しい挨拶はさて置いて,今年最初のブログ更新はズバリ初富士です。
まあ縁起物ということで,昨年の1月2日にも朝日に照らされる富士山の画像をアップいたしましたが,今回は毎年恒例(といいながら昨年はサボってしまった)年明けトレッキングに行った際に撮った初富士をお披露目したいと思います。
d0104959_14575575.jpg

これは金時山の山頂で撮ったもので,1月1日は曇の予報だったのが運の良いことに晴天となり,このような絶景を拝むことができました。

ところで,この富士山は本当に金時山の山頂で撮ったのかって?
では,証拠をお見せしましょう!
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ちゃんと「天下の秀峰 金時山」って看板もあるでしょ,しかもマサカリ付き(笑)

当日は,夜明けから少したった午前7時ぐらいから比較的ゆっくりめのペースで登り,大体午前9時半ぐらいに山頂に到着いたしました。

私は公時神社から少し下った国道138号線の仙石交差点の辺りから登り始め,矢倉沢峠を経由して山頂を目指しました。
d0104959_1532368.jpg【金時山の登山ルートの案内板】
図の下面の「箱根町」の文字のすぐそばに「WC」の表示が3つありますが,このうちの一番右側の「WC」(「一蔵」という喜多方ラーメンの店があります)から出発。
比較的短時間で登れる山なのですが,そう思って舐めてかかると痛い目を見ます。

私が登ったルートは,夜間に凍結し,昼間に陽が照って緩んだ道がぬかるむ登りにくいところで,しかもわりと急峻な場所がちらほらとあり,最後はロッククライミングをするかのような断崖絶壁を超えていかなければならないところがあったりしました。

下りは,もう一本となりの公時神社へ通じるルート(登る前に「一蔵」のご主人にすすめられたルート)を行ったのですが,こちらはぬかるみも少なくドライな道だったのでそれほど難儀することもありませんでした。

冬場に登る際には,乙女峠か公時神社からのルートのほうがおすすめかもしれませんね。

上りは大変でしたが,それを補うに余りある絶景を堪能できたので登ってよかったなあと思います。

さて,今日はこのぐらいにして,この続きは明日あたり(未定)にでも…(^_^;ゞ
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by mmwsp03f | 2012-01-02 16:03 | 観光