まあ思いついたことをつらつらと書き綴っています(写真は奥多摩から見た富士山)。


by M.M@Kanagawa
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団員の方からメールで案内をいただいたので、再びオーケストラ・ナデージダの演奏会に行ってまいりました。
今回の演目は以下のとおり。

■第5回演奏会
*アルヴォ・ペルト:ベンジャミン・ブリテンへの追悼歌
*セルゲイ・ボルトキエヴィチ:ピアノ協奏曲第1番変ロ長調Op.16
*クルト・アッテルベリ:交響曲第2番ヘ長調Op.6

【関連情報】
オーケストラ・ナデージダ/Concert Information

一般のクラシック・ファンには縁遠いプログラムですが、その割には今回も結構お客さん入ってましたね。

今回の作曲家の中では、おそらくアルヴォ・ペルトの知名度が一番高いと思いますが、だけど彼の作品を演目の初っ端にもってきたのは失敗だったんじゃないかなあ。

だいたい公演の第1曲目は、その後の演奏に対する聴衆の期待度をアップさせる盛り上げ役みたいなもの。
だから、わりとわかりやすいものや派手な演出の作品が好んで演奏されたりします。

ところが追悼の音楽で、ずどーんと沈みがちなうえ、ペルトの音楽は決してわかりやすいとはいえない部類に入るもんだから、コンサートの盛り上げ役にはなれないんですよね。

演奏後のお客さんの反応は、イマ3ぐらいなもんでした。

続くボルトキエヴィッチのピアノ協奏曲ですが、まあ確かに派手なんだけど、曲のつくりはお世辞にも良いとは言えない作品。

ピアノ・パートは聴き所があり、独奏者の石岡千弘さんのピアノもすばらしかったので、それなりに楽しめたのですが、いかんせんオケのパートがあまりよろしくない。

誤解のないように申し上げておきますが、オケが悪いといっているのではなくボルトキエヴィッチの作品自体に問題アリ!ということです。

バックを担当するオケ・パートが添え物的な扱いの作品というのは、ショパンに代表されるピアニスト作曲家にありがちな傾向ですが、ボルトキエヴィッチの場合は添え物的な割には派手な演出を盛り込んでいるので、かなり違和感のある素っ頓狂なオーケストレーションになっているんですよね。

特におかしかったのが第3楽章。
民謡風の旋律がメインテーマになっているのですが、途中で全く異質なフレーズが全体を支配し、突如としてメインテーマが復活したりと一貫性のない展開でなんとなく支離滅裂な印象…。

しかも、1~2楽章のフレーズとは明らかに違う能天気なフレーズに違和感炸裂!
オケの皆さんは、この曲にはかなり苦労させられたんじゃないかなあと思ったり…。

それでも所々で、「なかなかイイんじゃない? これ」というフレーズも聴けたし、石岡さんのピアノがすばらしかったので、そこそこ楽しめました。

さて、この日のトリとなったアッテルベリの交響曲第2番。
私、今日の演奏を聴くまで、この曲がこれほどの難曲だとは思ってもみませんでした。

まずテンポどりがうまくできないとカオス状態は必定という難度の高さ。
最初のホルンによるソロが余韻を残さずに音を切り気味吹いていたせいか、テンポが幾分前のめりになっていたようです。

そこで第1楽章は少々不安定な状態でしたが、崩壊することもなく終了。
この楽章は雄大で鷹揚な感じで、少しゆったりと音をためて演奏したほうがうまくいくように思います。
音を余韻を残さずに切り気味に演奏すると、どうしてもテンポが若干アップしてしまい、テンポ取りが難しくなりフレーズのつながりも悪くなってしまうので、下手するとガタガタになるという危険に直面してしまいます。

往年のスウェーデンの名指揮者スティグ・ヴィステリベリがスウェーデン放送交響楽団と録音した演奏を聴くと、テンポ取りとフレーズの継ぎ目をしっかりと意識することが、この曲を演奏する上で重要だということがわかります。

Atterberg: Symphony no 2, Suite no 3 / Stig Westerberg, etc
Swedish Radio Symphony Orchestra , Westerberg, Stig
(TOWER RECORD Online)



Adagioで始まる第2楽章からは、テンポがゆっくり目になったためか持ち直して、幾分余裕が出てきたようです。

そして第2楽章のコーダ。
ここで、オーケストラに突如火がつきます。

続く第3楽章でオーケストラ・ナデージダの本領発揮といった感がありました。
ある瞬間から化けるところがアマ・オケの面白いところです。
第2楽章のコーダから第3楽章にかけて、私は目頭が熱くなりましたよ。本当に…。

前回のピアノ協奏曲の時のこともあり、ひょっとしてこのオケはアッテルベリ苦手なんじゃないかと思ったりしたのですが、その思いを払拭する演奏だったと思います。

本来終楽章として想定されていたため非常に壮大な終わり方をする第2楽章に続く第3楽章は、さらに輪をかけてスケールの大きい、さらには取って付けた感満載の音楽となっています(笑。

この第3楽章をノリノリ(死語)で演奏し終えた団員の皆さんの表情は硬かった(特にヴィオラトップのナタリヤさん)のですが、あれだけのエネルギッシュな作品を演奏し終えたのに、それほど疲れた表情をしていませんでしたね。

そして、前回ではなかったアンコールが演奏されました。

シベリウスの音詩「春の歌」

この曲がなかなか良かった。
今回の演奏会の中では、一番わかりやすく叙情性に富んだ名品。
演奏も良かったですよ。もうちょっとゆっくり目でも良かったと思いますが。

どうせなら、この曲をプログラムの初っ端に持ってきたらよかったのに…。
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by mmwsp03f | 2011-02-26 22:25 | HP(クラシック)
巷には,無責任かつ無自覚なリーダーというものが跋扈しております。

以前,当ブログにて「成人の日に思うこと」という記事で書いたことですが,「政治・経済のリーダーの姿勢を見ても、はっきりいって『社会人としての自覚と責任』をもって行動していると思える人がほとんどいないのが現状です。」

この「社会人としての自覚と責任」が欠如しているリーダーの典型ともいえるのが,石原慎太郎東京都知事です。

彼は,またぞろ無責任かつリーダーとしての自覚が著しく欠如した発言を行っているようです。

ツィッターで話題になっていたブログ記事に下記のようなものがありました。

【関連情報】
石原さん、『親は知らない』にはそんなこと書いてありません!(山本弘のSF秘密基地BLOG)

SF作家の山本弘さんという方が,「週刊ポスト」での石原慎太郎都知事のインタビュー記事について辛辣な批評を行っています。
山本さんの言い分はもっともなことで,彼がいかにリーダーとしての立場を自覚せず無責任な発言を繰り返しているのかがわかります(とはいえ,「SLBMを積んだアメリカの戦略原潜は、最初から東シナ海にはいないはずである」と根拠が不明な記述もありますが・・・。SLBM搭載原潜のターゲットは中国・北朝鮮だけではないので)。

ちなみに,このブログ記事の元ネタは下記の記事で,思いっきり石原都知事の妄想と思い込みが炸裂した発言の数々を堪能?することが出来ます。

【石原都知事のインタビュー記事(抜粋)】
石原都知事 小学生が売春で1000万円稼ぐ日本人を嘆く

山本さんによれば,石原氏の発言の真偽を検証するためにわざわざ「親は知らない」という本を購入して読んでみたところ,彼のいう携帯を使った売春行為で300万,1000万も貯めてコインロッカーに隠している小学生の記述は全く見当たらなかったそうです。

政治の世界では,特にこういう何の検証もなく思いつきで発言しているような場面をよく見かけます。

皆さんよくご存知の鳩山前首相もよく無責任な発言を繰り返して,火に油を注ぐようなことをやっていますよね。
彼はまったく自分がトラブルメーカーであることに気がついていない。
だからこそ,「海兵隊の抑止力は方便」なんてことをサラッと言ってのけたりするわけです。

どうも政治家連中は,日本国憲法51条で保証されている免責特権を拡大解釈し,逆手にとっている傾向が無きにしも非ず。

日本国憲法第51条 
 両議院の議員は、議院で行った演説、討論又は表決について、院外で責任を問はれない。

だけど,石原都知事や鳩山前首相は表立って発言するから注目を浴び,批判もされるわけですが,その一方で自らの考えを公にしていない同調者が当然いるわけです。

このような同調者は,石原氏がその発言によって注目されることで影を潜めることになります(このような同調者をとりあえずステルス・シンパサイザー=a stealth sympathizerとでも呼ぶことにします)。

石原都知事が世間の批判を浴びながらも問題となる施策を実現できているのは,これらステルス・シンパサイザーが存在するからに他なりません。
つまり,石原氏が現に強い権力を行使できているのは,ステルス・シンパサイザーがいるからこそと言うことができると思います。

石原氏が注目されることで批判の矢面に立ち,自分たちのもとには批判の矛先が向けられなくなることで,行動がしやすくなるという側面があると思います。

ステルス・シンパサイザーは,都議会議員や官僚,その他政財界の有力者の中に多数存在するものと考えられます(でなければ,石原氏がこれまで強い権力を行使することはできないはずです)。

とはいえ,石原氏の考え方すべてに同調しているわけではなく,そのうちの一部について同調し,政策実現に協力しているものと思います。

問題発言を繰り返すリーダーに気をとられず,周りを見渡すことも肝心だと思います。
どのような人物でも,同調者・協力者がいなければ政策実現などできはしないのです。

リーダーのバックグラウンドを知ることが,無自覚かつ無責任なリーダーへ対抗するためには必要になってくるのです。

ちなみに菅首相は,有力なステルス・シンパサイザーによる後押しがないために,政策実現に支障をきたしているのでしょうね。
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by mmwsp03f | 2011-02-20 03:31 | 政治・国際事情
大概のブログでは、当然のごとく付いていたソーシャルネットワークツールが、ようやくエキサイトブログにも標準で装備されました。

各種ソーシャルネットワークボタンの設置ができるようになりました(エキサイトブログ向上委員会)

これまでは、ツィッターとはてなブックマークだけに対応していたのですが、今回からはtopsy・mixi・facebookにも対応したとのことです。

これでブログの内容をネット上の皆さんからご紹介いただける機会が増えるので、まあうれしい機能といえるでしょう。

(^^;A だけど、紹介してくれる方がどれだけいるかはわかりませんが・・・。
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by mmwsp03f | 2011-02-11 10:39 | 日々雑感

普遍的な若者観

livedoorニュースで少々気になる記事があったのでご紹介。

厚生労働省の調査で,性交渉に「関心がない」「嫌悪している」と考えている16~19才の男性が増加しているとのことで,それを受けて彼らがなぜそう思うのかということを想像の範疇で語っているという記事です。

【関連情報】
若い男がセックスを嫌う理由は費用対効果を考えた結果と識者(livedoorニュース・NEWSポストセブン:2011年02月05日17時00分)

これを読んだ当の「若者」の多くは,「えっ!そうなの?」とか思ったのではないでしょうか。

こういう記事は,調査結果だけ(特に目を引きそうなところばかり)を掲載するので,実際にはどのような質問が行われ,それに対する有意な回答がどの程度あったのかが明示されていないので,信頼性は低いものと思います。

それで,この記事に登場する原田曜平さんのコメントによれば,現代の若者は「費用対効果を考えて無駄なエネルギー」を使わないようにしているんだとか。

「そんなもんかねえ?」というのが正直な感想。

中高年の世代が,若い世代を自分たちとは違う異質な存在のように見る傾向はずいぶん昔からあります。
それも太古の昔から・・・。
よく年配の人が「今の若いやつは・・・」というような愚痴を耳にすることがあると思いますが,これも長い年月繰り返されてきた定番の愚痴であったりします。

私が知る範囲でも,だいたい5年間ぐらいの周期で「異質な若者」観が取り上げられる傾向にあるようです。

すこし前1990年代後半には,10代~20代前半の世代を「新人類」と称していたことがありました。
その「新人類」世代が,今度は今の若者を自分たちとは異質な宇宙人のような存在とみなすわけです。

そのうち適当な表現が思い浮かばずに,先祖がえりして「アメーバ」のような存在と例えられたりするかもしれません(笑。

時代・社会の状況が変われば,若い世代の考え方が変わるのは当たり前のことで,それを異質なことと考えるのが古い世代の特徴です。
『近頃の若者はなぜダメなのか』という原田曜平さんの著書のタイトルも,古い世代の考え方の象徴だったりします。

そもそも費用対効果を考えて行動することと,面倒くさがることは別物なのですが,それを混同しているのはいただけませんね。
それに,損得の基準も世代というよりは人によって違うわけですから,彼らが「得だ」と思うことが古い世代から見たら「無駄」と思うことかもしれません(逆もまたしかり)。

どうも一方的な決め付けにしか見えないというのが,今回の記事を見て思った感想でした・・・。
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by mmwsp03f | 2011-02-06 02:14 | 日々雑感