まあ思いついたことをつらつらと書き綴っています(写真は奥多摩から見た富士山)。


by M.M@Kanagawa
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カテゴリ:教育( 17 )

いじめ問題とともに,教師による生徒の体罰問題が大きくクローズアップされています。

皆さんもご存じの大阪市立桜宮高校におけるバスケット部主将の自殺をめぐる騒動です。

今回,橋下大阪市長の要求に応じる形で体罰問題への決着として,市立桜宮高校体育科の2013年度入試中止と体育科受験希望者に対する普通科への振り分けが決定されましたが,なんら解決になっていません。

それどころか,問題の本質から脱線して,単なる市長と市教育委員会との政治的駆け引きが展開されているだけで,体罰が慣例化している教育現場の改善に全く寄与していません。

入試を中止して教員を総入れ替えすれば問題は解決するのですか?

当然,答えは否。

こういう極端な主張は,問題の本質をとらえようとせずに手っ取り早く後始末をつけ,自らの実績とする単純思考のなせる業と言えます。

私が考えるに,体育科入試中止,教員総入れ替え(できなきゃ廃校)といった強硬な主張は,決して自殺した生徒の遺族や桜宮高校の生徒たちを慮ってのことではなく,この件を処置をめぐって体罰教師や高校側の措置に批判的な人々の矛先が自らに向かないようするための自衛的措置,つまり「逃げ」でしかありません。

結果として,この問題でいちばん不利益を被っているのは,他ならぬ桜宮高校体育科を志望する受験生や在校生です。

その彼らが,市長と教育委員会の措置に対して異論を唱えているわけですが,その声に聴く耳を持っていません。

このことからも,体罰問題に対して真摯に向き合っていないさまが見て取れます。

そして,教育評論家の尾木直樹氏が自らのブログで,桜宮高校の生徒が行った記者会見に,何者かによって仕組まれたことではないか?と異論を唱えたことで,そのことに対する批判が沸き起こってきています。
会見した女子生徒は「先生をかばうために会見したわけではない。自分たちが学校を大切に思っていることや、学校の良い部分も知ってほしかっただけ。私たち子どもは、何を言ってもだめなのかと失望した」という。

 女子生徒は「入試や部活を中止することは、亡くなった生徒を悼むこととは違うはずだ」と訴える。「体育科があるから体罰があるかのように言われているけれど、違うはず。桜宮だけの問題にしてほしくない」と考えている。
(産経ニュースwest: 2013.1.24)

尾木氏のブログでの見解は,単なる憶測によるものでしかなく,生徒の側の意見の一つとして取り上げていないことに大きな問題があります。

そのことに対する会見を行った生徒の主張は,尾木氏の主張と比べて論理的にも正しいと考えられます。
つまり,尾木氏の主張は「決めつけ」でしかありません。
尾木氏は,生徒が「決めつけ」を嫌うと知っていたはずなのに,また,「決めつけ」が思い込みによる予断であることことを知っていたはずなのに,このような主張をしていることは非常に残念なことです。

【関連情報】
「友達を失い、部活を失い、先生まで失ってしまう。本当につらい」 桜宮高在校生ら(産経ニュースwest)
「誰が仕組んだのかしら?」尾木ママのブログに女子生徒が反論(産経ニュースwest)
何か変!?(オギ☆ブロ-尾木直樹オフィシャルブログ)

今回の体罰問題の処理における問題点は,この生徒の主張に集約されていると言えます。

「入試や部活を中止することは、亡くなった生徒を悼むこととは違う」
「体育科があるから体罰があるかのように言われているけれど、違うはず」


まさしく,彼女の言う通りです。

入試や部活を中止したからと言って学校での体罰はなくなりませんし,体育科以外の学科で体罰がないかと言えば,まったくそんなことはありません。

もちろん,これは桜宮高校だけの問題ではありません。

桜宮高校の教員全員が体罰を積極的に容認していたわけでもありません。

問題の本質は,体罰を行っていた教師自身,さらに彼のような指導者を生み出した教育システムにあるはずです。

そのことを見据えることもなく,体育科の入試中止とか教員総入れ替えだとかで決着をつけようという安易な形だけの解決が,問題を先送りにするだけでなく本質から遠ざける結果となることでしょう。

何よりも,当事者である在校生や受験生の声を全く無視しているという時点で,非民主的であると言わざるを得ません。

民主的教育を標榜する日本の学校教育において,このような非民主的決断がなされているということが,体罰問題にも大きくかかわっていると考えられます。
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by mmwsp03f | 2013-01-27 10:18 | 教育

グロービッシュの効果

日本では、4月は新入学・新社会人デビューの季節なわけですが、これから新生活が始まるにあたって、ちょいと気になるのが「英語」問題。

ここでいう「英語」問題とは、新入生・新社会人に限らず日本人の多くは実践的な英語が使えないという問題と私が勝手に定義しておきます。

さて、以前このブログでも取り上げました巷で話題の企業の「英語公用語化」によって、それまで「英語なんかできなくったって、仕事は出来るからやらなくったっていい」と考えていた人たちも、「このまんまじゃクビになっちゃうかも…」、「世の中の動きについていけなくなっちゃうかも…」と「英語」を遅ればせながら、かなり意識するようになってきています。

ファーストリテイリングなどは今年3月に「英語公用語化」を実現するようなことを言っていましたが、このような動きに追随する企業が増えてきていますね(ところで、このファストリの「英語公用語化」って、うまくいってるんですかね?)。

これからは海外に積極的に進出し、外国人と取引するんだからビジネスパーソンとしては国際公用語となっている英語は話せなきゃいけないというので、英語の勉強にいそしんでいることと思います。

だけど一朝一夕で話せるようにはなりませんよね。
数ヶ月勉強しているけど、全然話せるようにならないし、相手の言っていることも聞き取れないという人って、かなり多いと思います。

なかなかうまくいかないときには、やはり発想の転換が必要なのかなと思います。

そこで要注目なのがグロービッシュ(Globish)という英語活用法。
グロービッシュとはGlobalとEnglishをかけあわせた造語で、非ネイティブ(日常的にその言語を使ってコミュニケーションをしていない人)向けの簡単英語のことです。

グロービッシュの基本的な考え方や会話例等を示す代表的な本。
グロービッシュは、語彙力のアップや多様な表現を覚えることを目指すのではなく、よく使われる単語1500語とその派生語に絞って簡単な表現で相手に伝えるコミュニケーション・ツールとして英語を捉えているところに特徴があります。
語彙を増やす、多様な表現を覚えても、実践的な会話の場面で使えなければ意味はない。すぐに出てくる簡単な表現で間違えてもいいから、とにかく自分から相手に伝えようとする姿勢が大切ということが強調されています。
【関連情報】
■著者のブログサイト→非ネイティブのビジネス英語術
■出版元の紹介ページ→通じなかった英語が一変する 驚異のグロービッシュ英語術(高橋書店)

当然のことながら、こういう方法は非常に安易であると批判が多いことも事実。
ネット上でもグロービッシュの学習効果について疑問・批判を提起しているサイトは数多くありますが、雑誌・書籍などでも批判的な評価を掲載しているものがあります。
その代表的なものが、下に示す晋遊舎という出版社が出している雑誌。

この雑誌には、巻頭特集として「巷でうわさの簡単英語に白黒つける! グロービッシュ辛口採点簿」というものが掲載されています。
ここでは、グロービッシュは「日本人には向いていない」という結論が示されています。
英語教育の専門家とネイティブ(国籍不明だけど、恐らくアメリカ人)のグロービッシュに対する評価、現役大学生のグロービッシュ学習体験による英会話力の変化について掲載されています。

【出版元の雑誌紹介】
英会話完全ガイド 非ネイティブの英会話(晋遊舎)

さて、この雑誌の特集を読んでみて私の感想はといいますと、書かれていることには一理あるものの、何だか無理やり「日本人向きじゃない」とか大して効果がないという結論を導いている感が否めませんでした。

確かに、1500語を覚えれば会話ができるかという点については、自分から発話することはできても相手の言っていることが理解できるかという点については疑問が残ります。

ただしグロービッシュの目的は、まず相手に伝わる平易な表現を覚えることにあり、普段英語で話しかけられても、自分の言いたいことをいえなかった状況を打開することにあります。

関口雄一さんが『驚異のグロービッシュ英語術』の中でも書かれていますが、ネイティブと同じレベルの会話力を身につけることを目標にしてしまうと萎縮して失敗を恐れるようになり、なかなか会話に踏み切ることができないばかりか、インプットによって知識を増やすばかりで、それを効果的に活用してコミュニケーションをとることがかえって難しくなります。

つまり、「まず『通じれば十分』と気楽に向き合うこと」から始めることで、英語への苦手意識を克服することが英語上達の第一歩だということです。

英語教育の専門家(三田教育研究所の平田周さんという方)からの指摘に基づくグロービッシュに対する「日本人の弱点をカバーするようには出来ていません!」という評価は、少々的外れかなと思います。

「文法や慣用句に対するフォローは特にない」と書かれてありましたが、『驚異のグロービッシュ英語術』の中では簡単に文法の基本についての記載もありました(ただし、慣用句についてのフォローは特になし)。

いわば、それまでの英会話に対する苦手意識を克服するための手段であって、グロービッシュを提唱する人たちも英会話がすべてフォローされるなどとは考えていないでしょう。
関口さんは、本書において「まずはグロービッシュ単語に絞って、話す力をアップさせる」ことを提唱していることからも、グロービッシュ後のことを想定していることが容易にわかります。

あと、ネイティブのジョーンズさんもネイティブの会話表現はわからないだろうけど、ちゃんとネイティブには言っていることが伝わると評価していますし、会話が苦手な現役大学生が1ヶ月間グロービッシュをやってみたら、若干会話力がアップしたという実験結果が示されていて、まったく日本人に不向きというわけではないというのが実証されています。

それなのに、日本人には不向きと結論付けるのはおかしいと思いません?

なんだか、グロービッシュは役に立たないという結論ありきで過小評価しているように思えるんですが…。

いずれにせよ、英会話への心理的なハードルを下げ、とっつきやすくするという点から、グロービッシュはそれなりに効果が期待できると思います。

だけど、先にも述べたとおりグロービッシュはあくまで英会話のベースとして考えるべきもので、それで完結してしまうことがないようにすべきだとは思いますが…。

自分の言っていることが通じるようになれば会話が楽しくなってきて、自分からもっと色々な表現を覚えようとするでしょうから、そんな心配は杞憂に終わると思いますけどね。
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by mmwsp03f | 2012-04-09 18:33 | 教育

「学校」という閉鎖社会

現在の学校教育にはさまざまな問題がありますが、その中でも大きな問題として近年クローズアップされているのが、教員の資質に関するものです。

昨日15日に報道された下記の記事は、教師としての資質という以前に社会人としての資質が欠落している人物が起こした事件です(全文引用)。
【ストーカー中学教諭】3年生成績が外部流出 甲府
毎日JP:2011年1月15日 01時13分 (2011年1月15日 02時38分 更新)

教え子の女子生徒に09年1〜2月、ストーカーまがいの行為を繰り返していた甲府市立中の50代の男性教諭が同年3月、3年生全員の成績表処分を生徒に手伝わせ、流出していたことが、市教育委員会などへの取材で分かった。市教委は当時の女子生徒への行為を口頭注意にとどめ、成績表の外部流出も把握していなかった。

 市教委や学校関係者によると、流出した成績表は「素点表」と呼ばれ、3年約160人の定期試験5科目の点数が記されている。3年担当教員の進路指導用で、生徒指導主事だった教諭は他校への異動直前の3月末、顧問だった部活の3年男子部員に素点表のシュレッダー掛けをさせた。

 その際、部員が素点表を校外に持ち出し、内容を後輩に伝えたため、保護者から「成績が流出している」と学校に連絡があった。部員が「面白半分に持ち出した」と謝ったことから、教諭のずさんな行為が分かり、外部に漏れた素点表を回収した。

 一方、校長は教諭を口頭注意にとどめ、市教委に報告しなかった。県教委指針では、成績など職務上知り得た秘密を漏らすことは懲戒処分対象になる。

 市教委の調査に、教諭は流出経緯を認め、校長は「口頭指導で十分と思った」と釈明しているという。市教委の平井政幸・学校教育課長は「生徒に書類の処分を手伝わせるなど考えられない」と話している。【中西啓介】

この人物による事件から見えてくるのは、自らの教え子に対するストーカー行為を繰り返す非常識さや、個人情報の管理に対する認識の甘さというだけではありません。
学校あるいは教育行政という閉じられた環境が生み出している問題点でもあります。

このような資質の欠落した教員が起こす不祥事は後を絶ちませんが、なぜこのような事態が次々に起こってくるのでしょうか。

人を指導するのに必要な行動基準が彼らのうちに確立されていないからではないかと考えられます。
つまり、人を指導するのに必要な経験、コミュニケーションを通じての相互理解の方法などを身につける機会を持てずにきたからではないかということです。

このような社会経験が不足気味で生徒を指導するのに十分な資質を持たない人々が次々に採用されるのはなぜでしょうか?
そのことについて、私がTwitterでつぶやいてみたことをここで紹介してみます。

【以下Twitterでの連続ツィート】
このような教職員の不祥事が相次ぐのを知るにつけ、教育委員会の教員任用方法が不適切であることを実感させられる。ところが教育委員会はそのことを全く自覚していないので、教員の不祥事は絶えない>【ストーカー中学教諭】3年生成績が外部流出 甲府http://exci.to/fPg3FX

教員採用の選考は、相変わらず成績主義とコネが幅を利かせている模様。特に有力なコネがあると採用に有利だという情実任用の世界。教育行政の閉鎖性を払拭し、学校という閉じた世界を変えていくには、在野の人々が教育行政にもっとタッチできる仕組みを確立する必要がある。それは教員任用でも同様。

どうも学校の先生というのは世間ズレしている人が多いので、もっと外の世界を実地に体験させる必要があると思う。「県庁の星」というマンガがあったけれども、あれと同じように外の世界を経験することで自分が為すべきことを学んでいくことは、教職員にも必要なこと。

単に民間団体出身者を教員として採用したところで、彼らは学校という閉じた世界では少数派であり、彼らの意見やアドバイスが「学校は会社とは違うから」とかいう排他的思考によって潰されることも十分考えられる。より多くの教職員が学校外の世界での認識を共有することが、最も必要なことだと思う。

そもそも学校の教員に期待されていることは、知識の享受だけではなく児童・生徒への自らの社会経験の継承である。児童・生徒が実社会に出た際に生きていく術を教えていくことが求められている。ところが実社会での経験値の低い教員が教育の現場を占めているので社会経験の継承がうまくいっていない

結局、社会経験の乏しい学校教員が適切ではない指導を行っているがために、実社会に出て職場でのコミュニケーションもうまくできないような新社会人が多数輩出されることになる。

学校とはそもそも社会の縮図なわけですが、そこで働いている教職員や教育行政に携わる人々(教育委員会等)は、学校・教育の現場を一般社会とは違う一種独特な環境であると認識しています。
実は、学校外の社会にいる一般の人々もそのような認識を持っていることが多く、そのことが教職員に自分たちが「特別な存在」であると思わせる要因となっています。

最近ではあまり耳にすることはなくなりましたが、教師を「聖職者」であるというのも「特別な存在」だとの認識を示す考え方だったりします。

このような「特別な存在」という認識が学校内と一般社会に共有されることで、教師は「特別な存在」として振舞うことになります。
それは、独善的かつわがままな教師を生み出すことにつながることになりかねません。

教職員の中には人の意見を聞こうとせずに、自分のいうことに反論を許さない人をよく見かけます。
生徒から誤りを指摘されても、頑なにそれを認めようとしない教職員。
それが本当に人を指導するのに足る資質を備えた教師ということが出来るのでしょうか?

現場の教職員の皆さんすべてがそうだとはいいませんが、少なくとも不祥事を起こす教職員には教師としての資質以前に社会人としての資質に欠けているといって差し支えないと思います。

やはり、教育の現場を改善していくためには、一般社会との接点を増やすことが肝心だと思うわけです。
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by mmwsp03f | 2011-01-16 10:53 | 教育
最近の企業における英語公用語化の傾向に対する批判が,かなりあちらこちらで起こっていますが,この動きに呼応するかのように,立教大学教授の鳥飼玖美子さんという方が,『「英語公用語」は何が問題か』(角川oneテーマ21)という著作を出版されたそうです。

「英語公用語」は何が問題か (角川oneテーマ21)

鳥飼 玖美子 / 角川書店(角川グループパブリッシング)


【関連情報】
英語習得は本当に必要か?(コラム総合 - エキサイトニュース)

私は,エキサイトニュースに掲載されていた「新刊JPニュース」のコラムでこの著作を知ったのですが,実際にはまだ読んでいませんので内容に踏み込んで語ることは出来ません。

ただ,ちょっと気になる記述があったので,その点について考えてみました。

最も気になるところは,鳥飼玖美子さんが「現在の英語偏重ぶりを(中略)『英語帝国主義』」だと主張されているという点。

この「英語帝国主義」は,どうやらジョン・トムリンソンという学者によって一般化された「文化帝国主義」の概念を意識して主張されているもののようです。

文化帝国主義

ジョン トムリンソン / 青土社


ところで「文化帝国主義」とはどのようなものか。
一言で言うと,他の文化を自らの文化に従属させる文化的侵略のことです。

この文化的侵略は,支配民族の言語・文化体系を被支配民族に対して強制するような,あからさまなものの他に,さほど意識されずに徐々に浸透していった結果,文化的な従属関係が出来上がっているという場合もあります。

前者の場合は,文化的に支配される側が相手から強要されていると強く意識しているので反発し,かえって独自の文化を保持しようとする傾向が顕著になります。
後者の場合は,かなり巧妙で,かつ大きな効果を及ぼす文化的侵略です。
自らの文化を相手に受け入れやすくさせる状況をつくりあげ,支配―服従の関係を意識させることなく浸透していき,やがて相手側の国・地域において大きな社会的影響力を及ぼすまでになります。

現代における文化的支配の形態は後者の場合が多く,文化的支配を受ける側が積極的に受容しようという傾向が顕著になっています。

このように巧妙な文化帝国主義の代表的な例として挙げられるのが,マクドナルドと映画です。

マクドナルドは,食事に厳しい戒律のあるイスラム圏やインドなどの地域・国にまで浸透するほどのアメリカを代表するファストフード・チェーンとなっています。

ハリウッドといえば,アメリカ映画文化の象徴となっており,ハリウッド映画の撮影技法は広く世界でも採用されるほどになっています。

また,Windowsやインターネットもアメリカで生まれ育った技術であり,現在グローバル・スタンダード(世界標準)となっている技術・文化は、圧倒的に欧米で形成されたものです。

例えば、電気通信技術分野においてはITU(International Telecommunication Union =国際電気通信連合)というスイスのジュネーブに本部を置く団体によって、欧米の技術仕様を基準にして各国の電気通信技術の統一的運用を図っています。
このことから、一部のジャーナリストや学者たちから、欧米の技術にアジア・アフリカ・中南米各国を従属させ、世界的な技術支配を推進しているというような批判もあり、文化帝国主義の象徴的な動きとして取り上げられることがあります。

つまり、グローバル・スタンダードというものは、欧米文化を世界に浸透させ、欧米優位の元で世界の文化支配を促進するというような意図が垣間見られるという指摘があるわけです。

記事から判断すると、鳥飼さんは安易な英語重視・英語偏重は、このような文化帝国主義に迎合するものということなのかもしれません。
実際に本を読んでいないので予想の範疇は超えませんが、そのようなことをおっしゃっているのかなと思います。

だけどまあ、それは少々考えすぎな感もあり、にわかに賛同はできなかったりしますが…。

世界で活躍できるようになるためには、グローバル・スタンダードとなっている英語をマスターして円滑なコミュニケーションを取れるようにするということであり、英語公用語化を主張する企業・ビジネスパーソンの主眼はそこにあるはずです。

英語を武器とするために、あらゆることを犠牲にして英語を勉強するのは、果たして賢い選択なのか、と鳥飼氏は指摘しています」と先のコラムに書かれていますが、それは英語を習得する側の心構えの問題であって、「英語帝国主義」というようなものとは次元の違う話です。

外国人が、日本人や日本の文化を理解したいと思うのであれば、理解に不可欠な日本語をを学ぼうと考えるのは自然なことであり、そのことをもって日本文化に屈したなどという人は普通いないはずです。

それと同じことで、英語圏の人々の考えを理解し、ビジネス上必要な交渉を行うためのツールとして英語を学ぶべきだという考え方を、「英語帝国主義」だというのは筋違いな感じを受けます。

「英語だけできて仕事ができない人」などというのは、そもそも企業が求めている人財ではありませんから、これも筋違いなお話です。

要するに、英語というコミュニケーション・ツールに振り回されず、英語以外のスキルもしっかり磨きなさいよということを言いたいのでしょう。
それにしては、風呂敷を広げすぎで警鐘の鳴らし方が違うんじゃないのかと思ってしまいますね。

それよりも、「まずは資格ありき」の風潮を何とかしたほうがいいのではないですかね。
業務上の経験やヒューマンスキルを磨く以前に、資格をとることが就職・スキルアップへの道を開くと勘違いしている人が多いことのほうが問題です。

これは英語の習得=できるビジネスパーソンという勘違いに通じるものがあり、その点を克服することが、現在の日本人に課された課題のような気がします。
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by mmwsp03f | 2010-11-23 21:20 | 教育
ココのところブログの更新をサボり気味ですが,さすがに毎日更新はきついので1日おきとか,ちょっとインターバルを置きつつ,更新を続けていこうと思います。

これでも半年間で150件の記事を投稿してまいりましたので,まあそこそこがんばった方なのかなと…
筆不精な私としては,快挙ではないかと思っていたりします。

さて,そのような前置きはさておいて,先週末はいろいろと話題が豊富だったようで,新垣結衣がコワモテのアニキになっていたりということでAmazonはお祭り状態でした。
さすがにAmazonも現在では該当ページの正常化を図っておりますが,現在ではイメチェン時の"ガッキー"の姿を見れなくなって惜しむ声がちらほらと投稿されております。

【関連情報】
新垣結衣=竹内力!? Amazonでカレンダーの商品画像が混乱(IT総合 - エキサイトニュース)
新垣結衣 2011年 カレンダー(Amazon.co.jp)

ところで話題は変わりますが,以前当ブログの「デジタル教材と教育効果」という記事で紹介した「デジタル教科書教材協議会(略称=DiTT)」が推進している小中学校におけるIT教材導入との関連で,「Business Media 誠」というニュースサイトにて野島美保さん(成蹊大学准教授)という方が,教育コンテンツとしてゲームを本格導入することの効果についてコラムを書かれています。

【関連情報】
ゲームの情熱は勉学に向けられるか?――教育ゲームの可能性(経済コラム - エキサイトニュース) → 〔元記事〕ゲームの情熱は勉学に向けられるか?――教育ゲームの可能性(Business Media 誠)
野島研究室(成蹊大学サイト内コンテンツ)

このコラムは,オンラインゲーム等に熱中する若者の志向を,学習へ結びつけて学力向上に役立てることはできないかをテーマに書かれているものです。

記事の内容をご覧いただければお分かりかと思いますが,ゲーム・コンテンツを効果的な学習に結びつけ,生かしていくことはかなり難しい課題ということができます。

野島さんは学習に対するモチベーションをいかにして維持していくかということを課題と考えられているようですが,実は単にモチベーションを維持するということだけでは解決しない課題であったりします。

ここで注目すべきなのが,モチベーションの方向性。

実はゲームにおけるモチベーションというのは,ゲーム・クリアによってもたらされる満足感です。
野島さんは「他人と自分との差や関係が分かりやすく、個人の努力量が可視化されること」ことがオンライン・ゲームにおけるモチベーションの特徴だとおっしゃっています。
ところが,ゲームは達成されるとそこで目的が完結してしまうということ。
つまり,モチベーションが消失するわけです。

そうなると別のゲームに関心が移ってしまい,それまで取り組んでいたゲームへの関心度は著しく低下し,やらなくなるか惰性でやることになります。
よっぽどキャラクターやストーリーに思い入れがない限り,達成したゲームに対する関心を維持することは難しいといえるでしょう。

であれば完結しないゲームにすればよい。ストーリーが次々に発展していくゲームにすればモチベーションが維持できるという反論があるかと思いますが,「完結しない」ということは,それこそモチベーションの維持が難しく,先が見えないので「目標意識」が失われることになります。

それから,コラムでは学習の実績に応じてレアアイテムを付与するというオンライン・ゲームでのビジネスモデルを応用する案を論じられていますが,この点については「アイテムという“人参”がないと勉強できなくなる恐れもある」と問題点を示していらっしゃいます。
しかし問題はそれだけではなく,レアアイテムを獲得することが目的となり,関心は点数を取ることに向いてしまうことになります。
つまり,レアアイテム獲得という目的を達成したら,あとは用なしになってしまうということ。

本来の教材の使命は,学習している内容に関心を持たせ,理解させることです。

ところが,「他人と自分との差や関係が分かりやすく、個人の努力量が可視化されること」に力点を置くと,「他者に勝つこと」「ゲームにクリアすること」にモチベーションがシフトしてしまうことになります。

要するに,学習内容とは関係ない方向へ関心を向けても学習効果はあがらないということです。

先にも書いたとおり,キャラクターやストーリーへの思い入れを抱くように,学習内容へいかに関心を持たせるかを抜きにして,ゲームを学習教材として応用しても効果はあがらないと思います。

歴史シミュレーション・ゲームなどの愛好者を見るとわかるように,ゲームで登場する歴史的人物(例えば,織田信長や伊達政宗など)や扱われている事件(三国志など)に関心があるからこそ,そのゲームをやろうと思うわけですから,そういう点を見逃してはならないでしょう。

ゲームを通じて,知的好奇心を如何に喚起するかが最も重要ではないでしょうか?
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by mmwsp03f | 2010-10-18 12:33 | 教育
復刊ドットコムのブログライターくまのさん(@fk_kuma)という方が,ツィッター上で下記のようなことをつぶやいていらっしゃいました。
そもそもネイティブでもないのに英語力強要する社会風潮に疑問。だったら企業や学校は、まず日本語教育でもした方がいいんじゃない。その方が日本社会はうまく回るだろ。

たしかに,最近の傾向として中学校や高等学校で英語の時間数を増やしたり,なんだかんだと英語を教育の基本にでもしているかのような風潮が文部科学省の教育政策に目だっています。

まあ,中曽根内閣(古!)当時から,「国際化」とかが標語になって英語教育をもっと拡充しないといけないってことで,徐々に英語の授業時間数が増えていったという背景があります。
その一方で,日本語教育がおろそかになっているのも事実。

どうも文科省の教育政策は本質からズレまくりというのが定番のようになっていて,結局彼らが立案した教育政策って大概失敗しているんですよね。
「ゆとり」教育がその典型。
もう,失敗認めて軌道修正していますし。

だけど,また失敗するんでしょうね。 ┐( ̄ー ̄)┌ヤレヤレ

そこで,くまのさんに触発されて,私もこの英語教育がらみでちょいと連続ツィートしてしまいました。
とりあえず,以下はそのツィート内容です。
楽天やファストリの社内英語公用語化の影響からか,相次いで社員に対する英語習得を義務化する企業が増えているが,これらの企業に共通する点は「目標」だけを設定し,その実現を要求するばかりで,企業としてどのようなサポートをするかが示されていないところである。

企業の社内政策として社員に対する英語習得義務化を要求するのであれば,企業として社員にどのようなバックアップをするかというところまで考えた上で公表すべきである。単に英会話学校へ通う費用を会社が援助するとか,TOEIC何点以上の者に報酬を与えるというような貧相な発想は正直いただけない

企業が社員に英語習得させるというのであれば,企業は当該社員が確実に英語が習得出来るように施策を講じる必要がある。これは自らが設定した「目標」に対する企業の義務であり,これを抜きにして社員に対して自助努力で何とかしろというのは,お門違いもいいところ。

自らの義務を果たすことが出来もしないのに,社員に英語を義務化するなどお話にならない。自らが設定した「目標」を自らが果たすことが出来ないのであれば,さっさとやめてしまえというのが社員側の思うところであろう。ましてや,できなきゃクビなどというのは単なる経営者サイドのエゴでしかない。

ただし,今後の企業の戦略的展開について社員が協力するのは当然のことであり,会社が海外への事業展開を推進したいというのであれば,社員にはそれに応えるよう努力する必要がある。その点は誤解してはならない。

たとえ英語が出来なくとも当然会社に貢献できるし,現にこれまでに英語が苦手な社員たちが日本企業を支えてきたという事実から明白である。それぞれが得意分野で勝負するという基本線をしっかりと押さえておくことが肝心。そして経営上何が重要なのかをしっかり見極めるべきである。

社員の英語習得を促進したいのであれば,「やれ」と命ずるだけではなく「このようにやれ」という方策を明示すべきである。社員も同様に批判するだけではなく,海外への事業展開を推進する上で有効な対案を提示する努力をすべき。トップの下手な思いつきの犠牲になりたくなければ,そうする以外にはない

これは,昨今話題の社内英語公用語化に関連したツィートです。
以前,当ブログでも「世界戦略と英語公用語化」という記事をアップしましたが,そことの関連でちょっと強い調子になってしまいましたが,つぶやいてみました(つぶやくってもんでもないかな?)。

【復刊ドットコム関連情報】
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by mmwsp03f | 2010-10-02 23:46 | 教育

乱立する新設大学の顛末

小田急線新百合ヶ丘駅北口より徒歩1分のところに,パチンコ屋,昭和音楽大学北校舎と並んで日本で唯一,映画関係者が創立し,経営する日本映画学校という専門学校があります。
ウッチャンナンチャンの出身校として有名ですね。

「楢山節考」などの作品で知られる故今村昌平氏(映画監督)が創立した専門学校ですが,このほど日本映画大学(仮称)という映画学部映画学科のみの4年制単科大学を創立する運びとなっているそうです。

【日本映画学校】

【日本映画大学(仮称)白山キャンパス完成予想】

【関連情報】
日本映画学校
日本映画大学(仮称,2011年度設置認可申請中)
日本映画大学(仮称)(リクルート進学ネット)
日本映画学校衣替え初の専門4年制大学に(nikkansports.com:2010年3月11日7時0分)
日本映画学校/日本映画大学[仮称](キネマ旬報社)
今村昌平(Wikipedia)

それでまあ,上記のリンク先に表示されているカリキュラム案の内容を見てみたところ,あまりにもざっくばらん過ぎて,とりあえず毎年必ず映画をつくるということはわかるのですが,どういう教科があって,どのような専攻課程があるのかが全くわかりません。

映画学科の単科大学とはいっても,すべての学生が一律同じことをやるわけではないでしょう。
選択するコースによって監督・プロデュース,映像撮影,演技指導,創作など,それぞれ専攻が細かく分かれると思うのですが,そういうカリキュラム構成をとらないということなのでしょうか?

たぶん,専門学校のカリキュラムから大体のところを把握できるだろうということなのかもしれませんが,それにしたって専門学校と大学では教育課程に違いが出てくるはずですから,履修予定となるコースや科目の概要ぐらいは示してもらいたいもんですよね。

【参考情報】
日本大学藝術学部映画学科(日本大学公式サイト)
日本大学藝術学部映画学科(学科特設サイト)

担任予定の教授陣についても全く記されていないので,こんなんで本当に来年度開学できるんだろうか?とか思ってしまいます。

だって,もう9月ですよ。
高校3年生にとって,ある程度進路を固めていなければならない時期にあたっているのに,この程度の情報しか開示できないというのはいかがなもんでしょう。

特に映画関係の業界では,かなり人脈がものを言うはずので,どのような人が担任するのかは非常に重要な判断材料になるはずなんですがね。
ひょっとして,専門学校の講師陣がそのまま大学にシフトするのか?

そこいらへんの詳細は,資料請求をすると送られてくる大学案内に掲載されているんだろうか?
何もかもが未定のままで,本当に大丈夫なのか?
この分野に進もうとする受験生には,日本映画大学(仮称)に期待はしているのでしょうが,はっきり言って不安材料ばかりなんですよね。

それに,なぜ今この時期に大学なのか?

少子化が進んで大学入学者が飽和状態であるのにもかかわらず,大学が乱立状態のこの時期にわざわざ新たに大学を開学する意味は何なのか?

第2次ベビーブーム世代が大学へ進学する時期に当たる1980~90年代に大学新設がブームとなり,現在では大学全入時代といわれるほど大学が余っている状況にあります。
その中で,大学運営に失敗して倒産した大学も出てきています。

例えば,株式会社が創立したLEC東京リーガルマインド大学。
この大学の場合は,学校教育法に抵触する事実が発覚して文部科学省から何度も指導された挙句,入学希望者の激減により,2010年度以降学生募集を停止する事態に陥っています。

この他にも,萩国際大学,聖トマス大学,秋田県立大学短期大学部など,新設大学の閉学・学生募集停止などが相次いでいます。

【関連情報】
LEC大学:Admission 入学・入試情報
大学職員.net -Blog/News:募集停止・破産アーカイブ

下手に大学経営に足を突っ込もうものなら,これらの大学の二の舞になる危険性があります。
さらに近年,大学教育・研究の質の向上,財務健全化などの大学改革が叫ばれるようになり,外部の格付け機関のチェックを受けて,これを一般に公表するという手続までとられるようになってきています。

つまり,現在の大学は倒産してしまうようなイイカゲンな運営を行っていないことをアピールしなければならなくなっているのです。
しかも,格付け機関による検査と格付けには相当なコストがかかります(まあ,義務ではありませんので実施しないことも可能ですが)。
学生の父兄や官公庁・企業に自校の健全性をアピールするために,定期的にこれを行わなければ大学の信用は維持できなくなりつつあります。

【関連情報】
大学評価情報ポータル/機関情報について(独立行政法人 大学評価・学位授与機構)
評価事業/評価手数料について(財団法人 大学基準協会)

大学は専門学校以上に維持運営が大変になってきているのです。
そのような状況を理解した上で専門学校を大学化するのであれば良いのですが,どうもそういうことを考えていなさそうな気配が濃厚です。

ただ単に,専門学校だと学生が集まらないとか,専門学校よりもメリットがありそうだという理由で大学にするというのであれば,それはとんだ勘違いです。
大学にしたからといって学生が集まるとは限りませんし,上述のように大学経営は日々厳しくなっていく状況にあります。

受験する側にとって魅力ある教育機関であるかどうかが問題なのであって,大学であるかどうかが問題ではないはずです。

総合大学並みの多様な専攻課程をもつ日本工学院専門学校は,入学希望者が非常に多いことで知られています。
毎年2500名を超える卒業生を排出しているマンモス専門学校ですが,これほどの学生在籍数が物語ることは,大学に劣らない魅力が専門学校にあることを示しています。

果たして,大学経営の荒波に船出をする日本映画大学(仮称)は,今後どうなっていくのでしょうか?
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by mmwsp03f | 2010-09-15 13:58 | 教育

職業訓練のいま

新卒の就職難が問題視されてからかなり長い年月が経過しているのですが,このような状況に対する効果的な対処法が提起されることもなく,悪化の一途をたどっています。

それはなぜかといえば,採用する側の企業が自らが取り組むべきことではないと考えているからだと思います。
しかも最近では,自社での新人教育を放棄して,やたら即戦力を求める傾向が増えているようです。
採用する企業側では「即戦力」ということをお題目のように唱える傾向が強くなっていますが,誰も最初から「即戦力」になる人はいないわけで,「即戦力」になるには下準備が必要になるという考え方が欠落しているようです。

彼らが求める「即戦力」労働者がゴロゴロころがっていれば何も苦労することはなく,いちいち面倒な就職選考など端折ってしまえばよいわけですがそうではない。
現実には「即戦力」となる労働者は少ないですし,その多くはやはり就業経験がある中途の方に集中します。
だからといって,中途採用で本当に役に立ってくれる「即戦力」が豊富であるわけでも,中途採用の実績がずば抜けて高いわけでもありませんけどね。

この「即戦力」を求める傾向が,えてしてないものねだりになったりするのは,企業側の「即戦力」への定義があいまいだったり,利益に直結する人を「即戦力」と考える傾向が高いからではないかと思います。

それは,人財を育成するという点にも見られる傾向です。

どうも企業の採用選考のあり方を見ていると,実は日頃から人財育成の努力をしていない,有能な人材を発掘する努力を行っていないという印象を抱くことが多いのですよね。

特に中途採用を見ていると,まるで夏休みの宿題のような感じ。
いちおう期限が設けられていて,それまでに採用者を確保しなければならないのですが,短い期間で充分検討する余裕がなく,やっつけ仕事で採用したら意図せざる人が入社しましたという感じ。

新卒採用でも,案外こういうのが多かったりするんですよね。
各社各様,また部署によっても求められる人財は違うと思うのですが,それを手間暇を省いた一括選考で選抜し,なんとなく有能そうなのを引っ張るという感じ。

で,この「有能」な人っていうのが,「有能」という言葉で片付けられていて,どのようなところが「有能」なのか,何をもって「有能」なのかが実にあいまい。

そんなんでいいのかねーとか思い続けているのですが,考えるのが面倒くさいのか,多くの企業で現状維持路線を敷いているところからも,それでいいと思っているようです。

もし,それでいいと思っていないというのであれば,さっさと選考方法を変える段取りをつければいいのですが,それをやっていない時点で「それでいいと思っている」ことと変わりはない。


そのような不甲斐ない企業の人事担当に成り代わって,労働者のキャリアアップを図っているのが別の企業だったりするわけです。
ずいぶん前から企業業務のアウトソーシング(外部委託)というのが大流行ですが,人事の採用・選考の分野でもアウトソーシングされることが多いのが現状。
かの派遣会社とか人材紹介会社とかですね。

それがですね。人財育成のアウトソーシングもどきとでもいったらよいのでしょうか,そういうものが教育業界でも盛んになっているようです。
アウトソーシングといっても企業が金を出すのではなく,子どもの親が金を出すのですが…。

日本では昔からの学歴志向によって進学塾や進学予備校がいまだもって大きな市場を形成しているのですが,ところが最近では就職指導なんかもやるようになってきているらしいのです。
続く就職難に新たなビジネスチャンスを見出したようなのですが,その教育業界で行っている就職指導とはどのようなものか?

詳細はわからないのですが,就職指導はすでに小学生から始まっている模様。

【関連情報】
キャリア教育・進路指導のNPO法人キーパーソン21:小学校・中学校・高校のキャリア教育
日本マンパワー:学校におけるキャリア教育支援サービス

NPO法人キーパーソン21が行っているカリキュラム概要を見てみると,どうやら就業に対するモチベーション創出を意図したカリキュラムを実施しているようです。
特に小学生や中学生対象では,ポジティブな職業観を持つことを主眼とするカリキュラムになっているように思えます。
実際のところは少々違うのかもしれませんが,「かっこいい大人ニュース」とか「すきなものビンゴ&お仕事マップ」などのカリキュラムタイトルを見ると,そういう印象を持ってしまうんですよね。

実際の仕事は,ストレスの連続であるという現実を見せ付けると就業意識が遠のいてしまうという配慮なのかもしれませんが,あまり職業を美化しすぎない程度に抑えてもらえればいいのですけどね。

大学でもキャリア支援教育を実施しているところは増えていますが,その割には新卒の就職状況は好転していません。

【関連情報】
名古屋大学現代GPキャリア支援・教育開発センター:専門教育型キャリア教育体制の構築

それは,もしかしたら教育業界・教育機関の考えるキャリアというものの認識にギャップがあるからなのかもしれません。
企業が求めるキャリアというものは,「即戦力」という言葉に象徴される仕事への取り組み方,発想力,コミュニケーション力なども含めた総合的なスキルであって,単なる仕事の技術だけを求めているのではないからでしょう。

しかし,そこまで新卒に求めるのであれば,企業が人財育成のカリキュラムを考えて実施していくことが必要なんですけど…。
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by mmwsp03f | 2010-09-02 10:48 | 教育

デジタル教材と教育効果

皆さんは小・中学校でパソコンやネットワーク技術を駆使した教材が普及することについて,どう思われますか?

今後小・中学校でデジタル教材を本格的に導入するための協議を行うことが,昨日開催された総務省と文部科学省によるシンポジウムで正式に公表されました。
デジタル教材の本格導入に向けて中心的役割を担う「デジタル教科書教材協議会(略称=DiTT)」という団体が発足し,その団体の会長に小宮山宏氏(現三菱総合研究所理事長、元東京大学総長)が就任したそうです。

【関連情報】
デジタル教科書 普及目指し協議会発足…70社が参加(毎日jp:2010年7月27日 21時53分)
小・中学生向けのデジタル教科書教材協議会が正式発足~ソフトバンク・孫社長など招きシンポジウムを開催(PC Watch)
「デジタル教科書教材協議会」MSやソフトバンクなど70社で設立(Internet Watch)
デジタル教科書教材協議会(DiTT)公式サイト


このデジタル教材の普及推進の中心的役割を担っているのが原口一博総務大臣で,日本の教育を世界のダイナミックな変化に対応させて変革させていくことを主眼として,このような施策を打ち出したということを主張されています。

このシンポジウムでは,実際に実験的に行われた教育現場のデジタル化についての報告もあったそうですが,記事にはどの程度の教育的効果があったのかは記されていません。


既に,主要な教科書会社ではデジタル教材を販売していて,サイト上でも教材の見本が公開されていますので,内容を確認することが出来ます。

【参考情報】
光村チャンネル/光村の提示型デジタル教材シリーズ(光村図書)
新しい算数 デジタルコンテンツ(東京書籍)

実際に東京書籍の「新しい算数」の小学三年生向けのコンテンツ「ぼうグラフのかき方をまとめよう」をいじってみましたが,操作のわかりにくさが目立っていたような気がします。
それから間違った入力をしても,それを指摘することなく,次へ進むといきなりグラフが修正されていたりしました。
Excelだって入力ミスをするとエラーを返してくるのに,教材がきちんと間違いを指摘しなければ何にもならんと思うのですが・・・。

そのような教材の質も今後の協議会における検討課題ということになるのでしょうが,現在のデジタル教材の発想は,紙媒体に+αの機能を付加しただけのものが多く,あえてこれをデジタル化する必要があるのか? と疑問に思えるのも事実。

まあ,教育の世界も官僚と同様の前例主義みたいなものがあって,先に作られた教材や教育方法を踏襲するのが当たり前のようになっています。
本当にデジタル技術の特性を生かした教材を制作したいのであれば,そのような前例主義にとらわれない人々に教材を創造していただかないと,本当の意味での「変革」にはなりえません。

それに,もう一つ大きな問題となるのが,デジタルに依存してアナログな部分を排除した教育方法が確立されないかという懸念。

パソコンを使っている人に共通して見られるのが,筆記した際に漢字が思い出せないという現象。
パソコンで文書を作っているとIMEが自動で漢字変換をしてくれるので,漢字を忘れてしまう人が続出中!
ネット利用者で誤変換をしても気づかないということがよく見られますが,これは入力した文章を見直さないからということもありますが,正しい漢字表記を忘れているか,知らないというのが圧倒的です(私も誤変換のまま投稿というのをよくやってしまいますが・・・)。

IMEのお粗末な変換精度に頼った結果が誤字脱字の嵐となるわけです。
DiTTの皆さんには,そこいらへんも十分検討したうえで,デジタル教材とアナログ教材の今後を考えていただきたいものです。


さらに言うと,コストの問題もありますね。

まずデジタルコンテンツを利用するには,パソコン等のデジタル機器の操作を習得しなければなりません。
小学校でデジタル教材を導入するということは,デジタル機器を操作するカリキュラムを小学校低学年の段階で実施しなければならないということ。
恐らく,これはかなり手間とお金がかかりますよ。

デジタル教材の負担は,子ども手当から充当するということをうたっていますが,聞いてビックリ!
一人当たり月にかかる費用は280円ですと。
いったいどっからそんな試算がはじき出されるのか。
楽観的過ぎるにもほどがある。
たぶんネットの接続料金分にしかならない金額で何が出来ると?


70社に及ぶ企業が名を連ねているということは,このデジタル教材に多大な利益を期待して参加を表明していることは明らかです。
これほどの多くの企業がかかわる事業で,たかだか一人頭280円で済むはずがナイ。

また,官僚的どんぶり勘定で負債が増大となりそうな雰囲気をかもしているところが,大いに気になります。

このデジタル教材普及振興は,教育方法だけではなく財源問題でもひと波乱ありそうな予感がします。
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by mmwsp03f | 2010-07-28 13:14 | 教育

関心度と学力の相関関係

世の中にはいろいろな資格試験や検定試験があります。

数ある検定試験の中に「ニュース時事能力検定」という試験があるそうです。
この検定試験を主催する日本ニュース時事能力検定協会によれば,「新聞やテレビのニュース報道を読み解くための『時事力』を認定するもので、『時事問題』の理解に欠かせないキーワードや、社会の仕組みと流れについての知識を1級から5級の5段階に分けて測定する唯一の検定試験」だそうです。

ニュース時事能力検定試験(日本ニュース時事能力検定協会)

なにやら難しそうな試験ですが,その検定試験の1級に,神戸の灘中学に通う中学3年生(14歳)がめでたく合格したとのことです(最年少合格記録)。

ニュース検定 14歳で1級合格…通学中に新聞3紙読む(毎日jp,2010年7月14日 19時08分)

1級の試験は,2級に合格していないと受検できないそうで,今回1級に合格した比護遥(ひごはるか)さんは,昨年の第7回検定で2級に合格していたそうです。
「最年少と知って驚いた」とは本人の談ですが,並み居る大人に引けをとらず合格したことは,なかなかすごいことです。

ところで,「このニュース検定っていうのはどの程度難しいもんなんだい?」と疑問に思っているあなた。
過去問がWeb上で公開されていますので,チャレンジして実際に体験してみればお分かりになると思いますよ。
何事も経験が大事!

ニュース時事能力検定/模擬問題・過去問題


たしか,わりと難しい試験の部類に入る宅地建物取引主任者試験(ニュース検定同様,年齢等の受験資格制限なし)でも,現役女子高生(当時16歳)が合格したと話題になったことがありました。

子どもたちの中には,かなり専門性の高い知識についても充分理解できる能力があることは以前から知られていましたが,一方で,なかなか学校の勉強についてゆくことができない子達もいます。

では,なぜこのように高い理解力をもった子と,そうではない子との差が生じるのでしょうか。
これは,それぞれの子にあらかじめ能力の差があるからではなく,その分野にどの程度興味・関心があるかによって差が生じてくるものと思います。

ニュース検定1級に合格した比護さんは,日ごろから時事情報に高い関心を持っており,新聞を毎日三紙読んでいるとのことです。
さらに彼女は,「知識を身に着け、将来は政治やジャーナリズムの仕事に就きたい」と将来に対する展望を語っています。

彼女がこれほどの高い能力を示すことができたのは,時事問題に対する関心の高さと将来ジャーナリストになりたいという希望をもって高いモチベーションを維持していることにあるのではないかと思います。

私が以前学習塾で教えていたときに,世界史の成績が振るわない高校生の男の子がいたのですが,彼は幸いなことに歴史を学ぶことの面白さに目覚めてくれたおかげで,その後世界史で模試の成績がどんどんアップしていきました。
このことからも,その教科・分野に対して興味を持って取り組めるか否かが,学力の向上に大きく関わってくることがわかります。

私は,以前から何度も「好きこそものの上手なれ」という故事を,機会があるたびに語り,授業のときには,いろいろな逸話を紹介したりして,興味を喚起するように努めてきました。
そのせいか,私が担当した科目に興味を持って積極的に学んでいこうという姿勢を持つ生徒が現れてくれたことは,非常にうれしいことでした。


何事においてもそうなのですが,今自分がやっていることは,どういう意味があるのかがわからないと,なかなか身を入れて取り組むことができません。

将来,宇宙工学の専門家になりたいという目標がある子であれば,そのために必要な知識を積極的に身につけようと努力します。
好きであれば,自発的に自分で調べ,疑問点を解消しようとするので,実力は努力に比例してアップしていきます。
ところが,将来への展望があいまいだったり,自分のやっていることの意味がわからないと,モチベーションを維持することができず,途端に学力はダウンしていきます。

よく,理系の生徒が歴史や地理なんか,自分の目指すものとは関係ないというので勉強しなくなったり,文系の生徒が数学なんて実生活には役に立たないといって拒否反応を起こすのは,その科目を勉強することの意義が理解できていないからです。

そして,自分のやっていることが無駄だと考えたとき,その人の能力はモチベーションと共に著しく減退していきます。

特に長いこと歴史科目は暗記モノという誤った「受験の常識」が植えつけられてきたため,結局社会に出てから何の役にも立たないという「無駄」のレッテルを貼り付けられることが多かったのです。
しかも,無意味に歴史上の人物や事件の名称を覚えさせられたという思いがあるので,高校を卒業してからも歴史は嫌い,苦手という人も案外多かったりします。
しかし,歴史に限らず学校で学ぶ分野は,実際の人間社会を生きていくうえで非常に参考になる知識が盛り込まれています。
なぜなら,すべてが人間が作り出した知識であり,その知識によって人間社会が動いているからです。

過去に学ぶということは,過去の事例を教訓として,これから経験することがらに対応する方法を自らが考えるということです。
歴史上の失敗を学ぶことによって,それと同じ轍を踏まないようにどのように処理すべきかを考え,自分の人生に活かしていくというのが,歴史を学ぶことの意義です。
そのことをはっきりと自覚して,自らの進むべき方向性が定まっている生徒は,自ずとモチベーションがアップし,能力もどんどんアップしていきます。

学校で学んだ知識を実社会で活かすことができるかどうかは,実は本人次第なのです。
本人が自ら学んだことを,どう活かしていけるかを見出すことが,非常に重要なのです。

比護遥さんのニュース検定1級合格という事実は,そのことを最もよくあらわしているということができるのではないでしょうか?
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by mmwsp03f | 2010-07-15 22:44 | 教育