第0次大戦という認識
2012年 01月 30日
Googleでたまたま「第0次世界大戦」という語を見かけたものですから、1月29日にかようなツィートをつらつらとしてしまいました(12:45~13:21)。
「第0次世界大戦」という言葉は10年近く前から称えられているようですが、一般的にその言葉が多用されるようになってきたのは、2010年12月27日放送の「NHKスペシャル プロジェクトJAPAN 《坂の上の雲》の時代 第0次世界大戦~日露戦争・渦巻いた列強の思惑」という番組が放送されてからのようです。
【関連情報】
■プロジェクトJAPAN ‐ ドキュメンタリー坂の上の雲の時代 第0次世界大戦(NHK)
司馬遼太郎の著作「坂の上の雲」のTVドラマ化と連動して放送された企画モノの番組で、かなりの反響があったようです。
実際に「第0次世界大戦」でググッてみると、このテーマを取り上げたブログ記事がかなりの数ヒットします。
で、この日露戦争を第1次世界大戦への前哨戦として捉え、「第0次世界大戦」と位置づける考え方については、先のツィッターでの私のつぶやきをご覧いただければわかるように、ちょっと変じゃないと思ったりするわけです。
実は、「参戦国が限定され、総力戦ではなかった」という点だけではなく、前哨戦という認識から「第0次世界大戦」と考える主張にも疑問をもっていたりします。
なぜなら、この戦争の結果、列強諸国の国際関係は大きく塗り替えられることになってしまったからです。
それまで敵対関係にあったイギリスとロシアが、この戦争後に協商関係を結んで接近し、それに伴ってロシアの同盟国で、これまたイギリスと険悪な関係にあったフランスとも協商関係を結ぶことになります(三国協商)。
世界分割をめぐってしのぎを削っていた英・仏・露三国の接近は、外交革命と呼ばれるほどに前代未聞の事件であったのです。
つまり、日露戦争当時と戦争後では全く国際関係が塗り替えられてしまっており、しかも日本とロシアもその後、(形式上)友好国としての関係をとりむすぶことになります。
こういった理由から、「前哨戦」というのはちと違うんじゃない?という疑問をもった次第。
あと、なぜ三国協商が成立することになったのかということを付け加えておきたいと思います。
通説となっている考え方としては、
1) 戦争とそれに伴う革命騒動によって国力が弱体化したロシアは、イギリスに対抗しうる力を保持することができず、結果イギリスに譲歩した
2) ロシアの弱体化に伴い、英・仏・露の世界政策に露骨な干渉をするドイツ帝国の驚異が顕著となったから
というものがあります。
特に2番目が三国協商成立の大きな要因といえるでしょう。
最近、日露戦争をして「第0次大戦」という呼び方がはやっているそうだ。その呼び方については諸説あろうと思うけど、世界的規模での戦争というのであれば13世紀のモンゴルの大西進も世界大戦と位置づけられる(実際、そう主張している学者がいる)。これは「第-3次世界大戦」(補足:「だいマイナス3じせかいたいせん」と読む)ぐらいになるのかな?
ちなみに、日露戦争を「第0次世界大戦」と位置づけるのであれば、当然朝鮮戦争も「第3次世界大戦」となる。実際に朝鮮半島に派遣された国連派遣軍は米韓含めて22カ国軍に及び、対する中国・北朝鮮軍の他、ソ連軍が中国人民義勇軍に扮して参加しているので、「世界大戦」と呼ぶにふさわしい規模。
私は「朝鮮戦争」をして「第3次世界大戦」とする見方をかなり前から持っていたが、日露戦争を「第0次世界大戦」とする見解は持っていなかった。しかし、日露戦争が第1次世界大戦に至る国際関係を形成したという意味で世界史的に大きなターニングポイントになったという認識はもっていた。
日本史では、日露戦争をめぐる日ロ関係と日本の国際社会での地位向上ばかりが取り上げられるが、いかに当時の国際社会へ影響を与えたかを教えないと、この世界史的事件の本質を見誤ることになる。それは、この戦争の勝利に幻惑された後の軍部・政治家たちと同じ道を歩むことにもつながる。
現在ある日露戦争関係の書籍を読んでみれば判るように、日露戦争は欧米列強のパワーバランスが少なからず影響を及ぼしている。イギリスは中東・東欧におけるロシアの影響力低減を狙い、ドイツは極東での影響力拡大をねらって黄禍論をもってロシアをそそのかした。
まあ、日本とロシア以外の列強諸国は両者共倒れをひそかに願っていたわけだが、それは当然、これら2国が戦争で衰退すれば、世界分割でのライバルが減って他の帝国主義諸国にとっては都合がよかったからに他ならない。いわば日露戦争は「勢力と均衡」のパワーポリティクスを象徴する典型的な事件なのだ
「第0次世界大戦」というのは、このようなパワーポリティクスの象徴としての列強諸国間の争いとして捉えた場合の見解ということがいえるだろう。しかし、第1次・第2次世界大戦との決定的な違いは、日露戦争は参戦国が限定され、総力戦ではなかったということから、このネーミングには違和感がある。
「第0次世界大戦」という言葉は10年近く前から称えられているようですが、一般的にその言葉が多用されるようになってきたのは、2010年12月27日放送の「NHKスペシャル プロジェクトJAPAN 《坂の上の雲》の時代 第0次世界大戦~日露戦争・渦巻いた列強の思惑」という番組が放送されてからのようです。
【関連情報】
■プロジェクトJAPAN ‐ ドキュメンタリー坂の上の雲の時代 第0次世界大戦(NHK)
司馬遼太郎の著作「坂の上の雲」のTVドラマ化と連動して放送された企画モノの番組で、かなりの反響があったようです。
実際に「第0次世界大戦」でググッてみると、このテーマを取り上げたブログ記事がかなりの数ヒットします。
で、この日露戦争を第1次世界大戦への前哨戦として捉え、「第0次世界大戦」と位置づける考え方については、先のツィッターでの私のつぶやきをご覧いただければわかるように、ちょっと変じゃないと思ったりするわけです。
実は、「参戦国が限定され、総力戦ではなかった」という点だけではなく、前哨戦という認識から「第0次世界大戦」と考える主張にも疑問をもっていたりします。
なぜなら、この戦争の結果、列強諸国の国際関係は大きく塗り替えられることになってしまったからです。
それまで敵対関係にあったイギリスとロシアが、この戦争後に協商関係を結んで接近し、それに伴ってロシアの同盟国で、これまたイギリスと険悪な関係にあったフランスとも協商関係を結ぶことになります(三国協商)。
世界分割をめぐってしのぎを削っていた英・仏・露三国の接近は、外交革命と呼ばれるほどに前代未聞の事件であったのです。
つまり、日露戦争当時と戦争後では全く国際関係が塗り替えられてしまっており、しかも日本とロシアもその後、(形式上)友好国としての関係をとりむすぶことになります。
こういった理由から、「前哨戦」というのはちと違うんじゃない?という疑問をもった次第。
あと、なぜ三国協商が成立することになったのかということを付け加えておきたいと思います。
通説となっている考え方としては、
1) 戦争とそれに伴う革命騒動によって国力が弱体化したロシアは、イギリスに対抗しうる力を保持することができず、結果イギリスに譲歩した
2) ロシアの弱体化に伴い、英・仏・露の世界政策に露骨な干渉をするドイツ帝国の驚異が顕著となったから
というものがあります。
特に2番目が三国協商成立の大きな要因といえるでしょう。
by mmwsp03f
| 2012-01-30 00:53
| HP(歴史)