「失われた世代」の歎き(後編)
2011年 05月 23日
イギリスの作曲家にアーサー・ブリスという人がいます。
彼は、エドワード・エルガーの次代を担う作曲家の一人として知られ、王立音楽院教授やBBCの音楽プロデューサー、指揮者、王室音楽師範という多彩な経歴を持つ人でもあります。
1964年にロンドン交響楽団とともに来日して、自作の「色彩交響曲」を演奏しているそうです。
【関連情報】
■ブリスのページ(M.M's Classical Music Garden)
■Bの作曲家―アーサー・ブリス(知られざる近代の名匠たち)
実は、彼も第1次世界大戦の勃発に伴って西部戦線に派遣され、ドイツ軍と戦って負傷することになりますが、幸いなことに命を奪われるまでには至りませんでした。
しかし、兄のアーサーとともに志願して従軍していた弟のケナードは、1916年のソンム攻勢の際に戦死してしまうことになります。
自らの過酷な戦争体験とともに兄弟を失うという大きなショックは、一時期彼を作曲から遠ざけることになりますが、5年間の兵役を終えた後、彼は戦死した弟への想いをメモリアルとすべく、”Morning Heroes - A Choral Symphony conceived as a Requiem for the Victims of the First World War”(朝の英雄たち―第1次世界大戦の犠牲者たちへの鎮魂曲として創作された合唱付交響曲)という作品を作曲しました。
この作品は、洋の東西と時代を超えて収集された戦争にまつわる詩作をテキストとして作曲された全5楽章のレクイエムで、完成を見たのは1930年で終戦から11年後です(第1次世界大戦は、1919年6月のヴェルサイユ条約調印をもって終結とされています)。
1930年という時期は、アメリカを中心とする「失われた世代」の作家たちが世界大戦の過酷な現実を描写した作品を数多く発表する時期と一致しており、エーリッヒ・マリア・レマルクの「西部戦線異状なし」が完成したのも1929年(映画化は1930年)で、彼らが戦後長い期間戦争の記憶にさいなまれ続け、苦しい難産の末に生み出したことを想像させます。
おそらく、ブリスも長い苦しみの中から「朝の英雄たち」を作曲したものと思います。
実際に曲を聴かれるとわかると思いますが、この曲は「英雄賛美」の作品ではなく英雄として戦場へ送り込まれた者たちの悲劇を描いた作品なのです。
戦争での英雄的行為に対する賛美でもなければ、勝利による高揚でもない。
この作品の底流には悲しみと嘆きが横たわっているのです。
なお、この作品は第1楽章と第5楽章には合唱ではなくナレーションが挿入されており、これがこの曲の最大の特徴であり、効果的な演出となっています。
戦争への悲しき追憶は、時に大きなうねりとなって押し寄せ、またある時には静かにしんしんと自らのうちに去来する。
そのような心象風景をあらわしているのが、この"Morning Heroes"という作品であろうと思います。
最後に、この曲で使われている詩作のテクストを紹介しておこうと思います。
ウォルト・ホイットマンは19世紀アメリカを代表する詩人で、イギリスの作曲家が好んで自作のテキストに使っています(たとえば、ヴォーン=ウィリアムズの「海の交響曲」など)
李太白は、杜甫や王維、孟浩然などと並ぶ唐代を代表する詩人のひとり(「詩仙」と称される人物ですが、酒をテーマとする詩作を数多く残しているところから「酒仙」と呼ばれているとかいないとか)。
ウィルフレッド・オーウェンとロバート・ニコルスは、ともに第1次世界大戦での従軍経験を持つ戦争詩人として知られるイギリスの詩人。
※イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンも戦争をテーマとする楽曲として「戦争レクイエム」という作品を残していますが、表現力・思想性・わかりやすさのいずれをとってもブリスの作品の方が上だと私は思っています。
彼は、エドワード・エルガーの次代を担う作曲家の一人として知られ、王立音楽院教授やBBCの音楽プロデューサー、指揮者、王室音楽師範という多彩な経歴を持つ人でもあります。
1964年にロンドン交響楽団とともに来日して、自作の「色彩交響曲」を演奏しているそうです。
【関連情報】
■ブリスのページ(M.M's Classical Music Garden)
■Bの作曲家―アーサー・ブリス(知られざる近代の名匠たち)
実は、彼も第1次世界大戦の勃発に伴って西部戦線に派遣され、ドイツ軍と戦って負傷することになりますが、幸いなことに命を奪われるまでには至りませんでした。
しかし、兄のアーサーとともに志願して従軍していた弟のケナードは、1916年のソンム攻勢の際に戦死してしまうことになります。
自らの過酷な戦争体験とともに兄弟を失うという大きなショックは、一時期彼を作曲から遠ざけることになりますが、5年間の兵役を終えた後、彼は戦死した弟への想いをメモリアルとすべく、”Morning Heroes - A Choral Symphony conceived as a Requiem for the Victims of the First World War”(朝の英雄たち―第1次世界大戦の犠牲者たちへの鎮魂曲として創作された合唱付交響曲)という作品を作曲しました。
この作品は、洋の東西と時代を超えて収集された戦争にまつわる詩作をテキストとして作曲された全5楽章のレクイエムで、完成を見たのは1930年で終戦から11年後です(第1次世界大戦は、1919年6月のヴェルサイユ条約調印をもって終結とされています)。
1930年という時期は、アメリカを中心とする「失われた世代」の作家たちが世界大戦の過酷な現実を描写した作品を数多く発表する時期と一致しており、エーリッヒ・マリア・レマルクの「西部戦線異状なし」が完成したのも1929年(映画化は1930年)で、彼らが戦後長い期間戦争の記憶にさいなまれ続け、苦しい難産の末に生み出したことを想像させます。
おそらく、ブリスも長い苦しみの中から「朝の英雄たち」を作曲したものと思います。
実際に曲を聴かれるとわかると思いますが、この曲は「英雄賛美」の作品ではなく英雄として戦場へ送り込まれた者たちの悲劇を描いた作品なのです。
戦争での英雄的行為に対する賛美でもなければ、勝利による高揚でもない。
この作品の底流には悲しみと嘆きが横たわっているのです。
なお、この作品は第1楽章と第5楽章には合唱ではなくナレーションが挿入されており、これがこの曲の最大の特徴であり、効果的な演出となっています。
戦争への悲しき追憶は、時に大きなうねりとなって押し寄せ、またある時には静かにしんしんと自らのうちに去来する。
そのような心象風景をあらわしているのが、この"Morning Heroes"という作品であろうと思います。
最後に、この曲で使われている詩作のテクストを紹介しておこうと思います。
【Morning Heroes: Quotation writing poem】ホメロスは言わずと知れた古代ギリシアの高名な詩人。
1.Hector's Farwell to Andromache (Homer: The Iliad)
2.The City Arming (Walt Whitman)
3.Vigil (Li-Tai-Po) - The Bivouac's Flame (Walt Whitman)
4.Achilles Goes Forth to Battle (Homer: The Iliad)
5.Now, Trumpeter for Thy close
・Spring Offensive (Wilfred Owen)
・Dawn on the Somme (Robert Nichols)
1.ヘクトルのアンドロマケとの別れ(ホメロス:イリアド)
2.臨戦態勢の都市(ウォルト・ホイットマン)
3.寝ずの番(李太白)―露営の炎(ウォルト・ホイットマン)
4.アキレスは戦場へ赴く(ホメロス:イリアド)
5.今、らっぱ手よ汝の終末のために
・春季攻勢(ウィルフレッド・オーウェン)
・ソンムの失陥(ロバート・ニコルス)
ウォルト・ホイットマンは19世紀アメリカを代表する詩人で、イギリスの作曲家が好んで自作のテキストに使っています(たとえば、ヴォーン=ウィリアムズの「海の交響曲」など)
李太白は、杜甫や王維、孟浩然などと並ぶ唐代を代表する詩人のひとり(「詩仙」と称される人物ですが、酒をテーマとする詩作を数多く残しているところから「酒仙」と呼ばれているとかいないとか)。
ウィルフレッド・オーウェンとロバート・ニコルスは、ともに第1次世界大戦での従軍経験を持つ戦争詩人として知られるイギリスの詩人。
※イギリスの作曲家ベンジャミン・ブリテンも戦争をテーマとする楽曲として「戦争レクイエム」という作品を残していますが、表現力・思想性・わかりやすさのいずれをとってもブリスの作品の方が上だと私は思っています。
by mmwsp03f
| 2011-05-23 00:45
| HP(クラシック)