夏は戦争の季節
2010年 08月 06日
8月6日は広島,9日は長崎にそれぞれ史上初の核兵器による惨劇がもたらされた日として記憶され,毎年追悼行事・核兵器反対のセレモニーが行われます。
終戦記念日の8月15日よりも重要な日として,政府関係者,各国の代表等も参加して毎年必ず平和記念式典が開催されていますが,今年はこれまで出席を固辞してきた核保有国3ヶ国の米英仏代表が参加することによって,これまで以上に意義のあるセレモニーとなったようです。
【関連情報】
■広島弁で核廃絶訴え「あっちゃいけん」 原爆忌、犠牲26万9446人(産経新聞:8月6日10時18分)
■広島原爆の日:米英仏代表出席「廃絶に希望」 被爆者団体(毎日jp:2010年8月6日 11時47分)
■広島平和式典 国連事務総長が核廃絶を訴える(CNN.co.jp:8月6日11時57分)
日本では,終戦(敗戦)が夏の真っ只中であったところから,夏は「戦争を回顧する季節」であり「戦争を考える季節」とされるようになりました。
この時期は,特にメディアで戦争に関する特番も増えますので,いやでも戦争を意識させられます。
現代の日本では,夏は「戦争が終わった季節」という認識が一般的ですが,歴史的な視点に立ってみると,夏は「戦争が始まる季節」なのです。
特に,季節の移り変わりがある地域では,夏に戦争が起こることが圧倒的に多いのです。
なぜ,夏に戦争が勃発するのかというと,晩春から秋口に軍隊を動員して作戦行動を遂行するのが最も都合がよいからです。
これから戦争をしようという者(政治家や軍人)は,最初から1年以上の長期に及ぶことを見越して戦争をしようと普通は思いません。
大抵が,2~3ヶ月程度の短期間で決着をつけようと考えるのが普通です。
なぜなら,戦争が長期化すればその分国家財政が逼迫し,国民の継戦意欲を維持するのが困難だからです。
そして,冬になると防寒用の装備も必要になってきますし,なんと言っても軍隊の動きが寒さによって鈍くなります。
寒波が襲ってきたり,雪が降ってこようものなら凍傷はては凍死の危険性が伴います(当然,戦争は野外で行うものですから)。
当然のことながら兵站(軍需物資の供給・輸送)の維持も困難になってきますし,兵器の故障も増加します。
だから,冬が本格化する前に2~3ヶ月の短期間で決着をつける作戦計画を立てて,軍隊が行動しやすい時期である夏に戦争を起こすのです。
第一次世界大戦で,ドイツ軍が1914年8月2日に軍事行動を起こしてルクセンブルク,ベルギーに侵攻したのは,冬が本格化する前(11~12月初頭)にフランス軍に決定的な勝利を獲得し,ロシア軍の行動を阻止する目算があってのことでした。
もし,これが9月に入っていたとしたら,ドイツ軍が作戦行動を起こしたかは微妙ですし,10月であればほぼ確実に中止となっていたことでしょう。
ヒトラーがポーランドに侵攻したのは1939年9月1日でしたが,これは作戦行動上ぎりぎりの時期でした。
実際には対ポーランド戦は8月中に実行される予定でしたが,ヒトラーが延期に継ぐ延期を繰り返したため9月1日になったそうです。
参謀本部では,この時期を逃したら来年の春になるまで開戦持ち越しと考えていたようです。
最近の戦争の例だけではなく,中世(封建制の時代)以降,戦争は季節が大きくかかわってきます。
特に気候が大きな影響を与える農業生産は,戦争に大きな影響を及ぼしてきました。
日本の場合はそうでもないのですが,ヨーロッパの場合は戦争をする時期はほぼ決まっていて,秋から冬にかけては戦争はお休みとなることが多かったのです。
特に封建制全盛期には,秋は収穫の季節になるので,収穫期前に戦争を終わらせるというのは君主と臣下との間の了解事項になっていました。
封建軍隊の兵隊は農民兵が圧倒的多数でしたから,作付けと収穫における労働力でもあった彼らにいつまでも戦争ばかりさせるわけにはいきません。
当然のことながら戦争が長引けば収穫は滞るので,封建領主は「お飯の食い上げ」となってしまいます。
君主が収穫期になっても戦争を終わらせようとしない場合,封建領主はさっさと手勢を率いて自分の領地に引き上げてしまって,君主は戦争を継続できずに休戦するということが往々にして見られたそうです。
これは,ヨーロッパの封建制度はなかなかドライな契約関係によって維持されていたことを示すエピソードでもあります。
まあ,いつの時代においても「夏」という季節は生物が最も活動しやすい時期に当たるわけです。
だから戦争は夏に起こりやすいといえるのです。
つまり,戦争というものも気候・気象条件という自然の制約を受けるということですね。
「戦争を考える季節」にあたって,特に学生の皆さん。
戦争をただ単に悲惨な事件として振り返るのではなく,どうして起こるのかをも併せて考えてみてください。
その原因・理由を追究するということは,人間の本質を知る更なる一歩となるはずです。
終戦記念日の8月15日よりも重要な日として,政府関係者,各国の代表等も参加して毎年必ず平和記念式典が開催されていますが,今年はこれまで出席を固辞してきた核保有国3ヶ国の米英仏代表が参加することによって,これまで以上に意義のあるセレモニーとなったようです。
【関連情報】
■広島弁で核廃絶訴え「あっちゃいけん」 原爆忌、犠牲26万9446人(産経新聞:8月6日10時18分)
■広島原爆の日:米英仏代表出席「廃絶に希望」 被爆者団体(毎日jp:2010年8月6日 11時47分)
■広島平和式典 国連事務総長が核廃絶を訴える(CNN.co.jp:8月6日11時57分)
日本では,終戦(敗戦)が夏の真っ只中であったところから,夏は「戦争を回顧する季節」であり「戦争を考える季節」とされるようになりました。
この時期は,特にメディアで戦争に関する特番も増えますので,いやでも戦争を意識させられます。
現代の日本では,夏は「戦争が終わった季節」という認識が一般的ですが,歴史的な視点に立ってみると,夏は「戦争が始まる季節」なのです。
特に,季節の移り変わりがある地域では,夏に戦争が起こることが圧倒的に多いのです。
なぜ,夏に戦争が勃発するのかというと,晩春から秋口に軍隊を動員して作戦行動を遂行するのが最も都合がよいからです。
これから戦争をしようという者(政治家や軍人)は,最初から1年以上の長期に及ぶことを見越して戦争をしようと普通は思いません。
大抵が,2~3ヶ月程度の短期間で決着をつけようと考えるのが普通です。
なぜなら,戦争が長期化すればその分国家財政が逼迫し,国民の継戦意欲を維持するのが困難だからです。
そして,冬になると防寒用の装備も必要になってきますし,なんと言っても軍隊の動きが寒さによって鈍くなります。
寒波が襲ってきたり,雪が降ってこようものなら凍傷はては凍死の危険性が伴います(当然,戦争は野外で行うものですから)。
当然のことながら兵站(軍需物資の供給・輸送)の維持も困難になってきますし,兵器の故障も増加します。
だから,冬が本格化する前に2~3ヶ月の短期間で決着をつける作戦計画を立てて,軍隊が行動しやすい時期である夏に戦争を起こすのです。
第一次世界大戦で,ドイツ軍が1914年8月2日に軍事行動を起こしてルクセンブルク,ベルギーに侵攻したのは,冬が本格化する前(11~12月初頭)にフランス軍に決定的な勝利を獲得し,ロシア軍の行動を阻止する目算があってのことでした。
もし,これが9月に入っていたとしたら,ドイツ軍が作戦行動を起こしたかは微妙ですし,10月であればほぼ確実に中止となっていたことでしょう。
ヒトラーがポーランドに侵攻したのは1939年9月1日でしたが,これは作戦行動上ぎりぎりの時期でした。
実際には対ポーランド戦は8月中に実行される予定でしたが,ヒトラーが延期に継ぐ延期を繰り返したため9月1日になったそうです。
参謀本部では,この時期を逃したら来年の春になるまで開戦持ち越しと考えていたようです。
最近の戦争の例だけではなく,中世(封建制の時代)以降,戦争は季節が大きくかかわってきます。
特に気候が大きな影響を与える農業生産は,戦争に大きな影響を及ぼしてきました。
日本の場合はそうでもないのですが,ヨーロッパの場合は戦争をする時期はほぼ決まっていて,秋から冬にかけては戦争はお休みとなることが多かったのです。
特に封建制全盛期には,秋は収穫の季節になるので,収穫期前に戦争を終わらせるというのは君主と臣下との間の了解事項になっていました。
封建軍隊の兵隊は農民兵が圧倒的多数でしたから,作付けと収穫における労働力でもあった彼らにいつまでも戦争ばかりさせるわけにはいきません。
当然のことながら戦争が長引けば収穫は滞るので,封建領主は「お飯の食い上げ」となってしまいます。
君主が収穫期になっても戦争を終わらせようとしない場合,封建領主はさっさと手勢を率いて自分の領地に引き上げてしまって,君主は戦争を継続できずに休戦するということが往々にして見られたそうです。
これは,ヨーロッパの封建制度はなかなかドライな契約関係によって維持されていたことを示すエピソードでもあります。
まあ,いつの時代においても「夏」という季節は生物が最も活動しやすい時期に当たるわけです。
だから戦争は夏に起こりやすいといえるのです。
つまり,戦争というものも気候・気象条件という自然の制約を受けるということですね。
「戦争を考える季節」にあたって,特に学生の皆さん。
戦争をただ単に悲惨な事件として振り返るのではなく,どうして起こるのかをも併せて考えてみてください。
その原因・理由を追究するということは,人間の本質を知る更なる一歩となるはずです。
by mmwsp03f
| 2010-08-06 13:54
| HP(歴史)