ケレンスキー女装説
2010年 04月 25日
私は,現在「歴史の隙間―とある事件の記録」という姉妹サイトで,「革命の危機―チェコスロヴァキア軍団事件と反革命戦争」というロシア革命に関する記事を連載しています。
今回(4月24日更新分),十月革命に関する内容をアップしたのですが,その際に載せようかどうか迷った逸話があります。
それは,ボリシェヴィキが武装蜂起をして臨時政府のある冬宮へ突入する前に,首相のケレンスキーが女装をしてひそかに脱出をしたというものです。
このケレンスキーが女装をして脱出したという逸話は,革命当時から伝わっているもので,ロシア革命の研究者の本でもたびたび登場してきたものでもあります。
私がこの逸話を初めて目にしたのは,「世界の歴史―14.第一次世界大戦後の世界」(中公文庫)という古い世界史概説書の中でした(原本は,昭和37年1月刊行)。
この本のP.145には「女装して逃亡したといわれるケレンスキーをのぞいて,臨時政府の全閣僚が逮捕された」と書かれてあります。
その記述を目にしていた私は,ちょっと面白い逸話なので載せようかと思ったのですが,「これって本当!?」と疑問がよぎりまして,ちょっとネットで調べてみようと思ってググッてみました。
そうしたら,ケレンスキーが女装して脱出したというのは信憑性が著しく低いデマである可能性が高いことを指摘したサイトを発見しました。
それが「藤井一行研究室」というサイトで,藤井一行氏はトロツキーの「裏切られた革命」(岩波文庫)の翻訳者です。
このサイトの「⑶ 十月革命時のケーレンスキーの首都脱出形態について」というページに,ケレンスキーが女装をしてアメリカ大使館の車で逃走したというのは根拠薄弱であることが詳細に論証されています。
この論考は,ロシア史研究家として著名な和田春樹氏の著作における記述への批判として記されているもので,この批判に対して和田春樹氏は,ご自身のホームページ内の「藤井一行氏の批判に答える」で「結果的に事実ではなかった女装説をその後一貫し書き続けてきたことは、反省すべき誤りであった」と認めていらっしゃいます。
和田氏は,女装説について「どの文献に依拠したのか、いまは定かでない」と述べられていますが,「ソ連の時代の多くの通俗的な文献や芸術的な文献にとりこまれた」内容だとおっしゃっているところから,このうちのいずれかから影響を受けたのだろうと思います。
結局は,兵士や労働者の間の「噂話」が,ケレンスキーを卑怯者として印象付けるためのプロパガンダとして利用されていたということなのでしょう。
ちなみに,ケレンスキーが看護婦姿で逃亡しようとしている様子を描写した絵画が,ニコラ・ヴェルト(石井規衛監修)『ロシア革命』(創元社・知の再発見双書)のp.115に掲載されています。この本は,2004年発刊のわりと新しい本なのですが,ここでもケレンスキーが女装した絵画が掲載されているということは,著者または監修者は女装説を信じているってことなんですかね。
ネット上では,ケレンスキーは女装趣味があるとか,女装して逃走したというのは事実として受け止められているらしく,「ケレンスキー 女装」でググッてみると出るわ出るわで大変なもんです。
こういう面白そうなネタは,都市伝説同様に根拠もなく信じる人がいます。ましてや,その道の権威が言っていることは非常に影響力が強い(だからこそ,これほど信じる人が多い)。
権威ある人がそれなりのものを書く際は,充分気をつけなければいけないということの見本みたいなもんですね。
私は,藤井一行氏の指摘に従い,記事の中には女装説に関する記述は載せませんでした。
今回(4月24日更新分),十月革命に関する内容をアップしたのですが,その際に載せようかどうか迷った逸話があります。
それは,ボリシェヴィキが武装蜂起をして臨時政府のある冬宮へ突入する前に,首相のケレンスキーが女装をしてひそかに脱出をしたというものです。
このケレンスキーが女装をして脱出したという逸話は,革命当時から伝わっているもので,ロシア革命の研究者の本でもたびたび登場してきたものでもあります。
私がこの逸話を初めて目にしたのは,「世界の歴史―14.第一次世界大戦後の世界」(中公文庫)という古い世界史概説書の中でした(原本は,昭和37年1月刊行)。
この本のP.145には「女装して逃亡したといわれるケレンスキーをのぞいて,臨時政府の全閣僚が逮捕された」と書かれてあります。
その記述を目にしていた私は,ちょっと面白い逸話なので載せようかと思ったのですが,「これって本当!?」と疑問がよぎりまして,ちょっとネットで調べてみようと思ってググッてみました。
そうしたら,ケレンスキーが女装して脱出したというのは信憑性が著しく低いデマである可能性が高いことを指摘したサイトを発見しました。
それが「藤井一行研究室」というサイトで,藤井一行氏はトロツキーの「裏切られた革命」(岩波文庫)の翻訳者です。
このサイトの「⑶ 十月革命時のケーレンスキーの首都脱出形態について」というページに,ケレンスキーが女装をしてアメリカ大使館の車で逃走したというのは根拠薄弱であることが詳細に論証されています。
この論考は,ロシア史研究家として著名な和田春樹氏の著作における記述への批判として記されているもので,この批判に対して和田春樹氏は,ご自身のホームページ内の「藤井一行氏の批判に答える」で「結果的に事実ではなかった女装説をその後一貫し書き続けてきたことは、反省すべき誤りであった」と認めていらっしゃいます。
和田氏は,女装説について「どの文献に依拠したのか、いまは定かでない」と述べられていますが,「ソ連の時代の多くの通俗的な文献や芸術的な文献にとりこまれた」内容だとおっしゃっているところから,このうちのいずれかから影響を受けたのだろうと思います。
結局は,兵士や労働者の間の「噂話」が,ケレンスキーを卑怯者として印象付けるためのプロパガンダとして利用されていたということなのでしょう。
ちなみに,ケレンスキーが看護婦姿で逃亡しようとしている様子を描写した絵画が,ニコラ・ヴェルト(石井規衛監修)『ロシア革命』(創元社・知の再発見双書)のp.115に掲載されています。この本は,2004年発刊のわりと新しい本なのですが,ここでもケレンスキーが女装した絵画が掲載されているということは,著者または監修者は女装説を信じているってことなんですかね。
ネット上では,ケレンスキーは女装趣味があるとか,女装して逃走したというのは事実として受け止められているらしく,「ケレンスキー 女装」でググッてみると出るわ出るわで大変なもんです。
こういう面白そうなネタは,都市伝説同様に根拠もなく信じる人がいます。ましてや,その道の権威が言っていることは非常に影響力が強い(だからこそ,これほど信じる人が多い)。
権威ある人がそれなりのものを書く際は,充分気をつけなければいけないということの見本みたいなもんですね。
私は,藤井一行氏の指摘に従い,記事の中には女装説に関する記述は載せませんでした。
by mmwsp03f
| 2010-04-25 09:26
| HP(歴史)