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ツッコミどころ満載の憲法改正草案(その4)

いやあ、このツッコミ企画がこれほど長くなるとは思いませんでした。正直なところ…。
それだけ、自民党の憲法改正草案が超一流のできの悪さ故とご理解ください(笑。

【基本資料】
自民党:日本国憲法改正草案対照表(PDFファイル)

憲法改正においては、憲法の存立を基礎づける根本原則を損なう改正を行うことはできないというのが通説となっています(これを限界説といいます)。

ところが自民党案では、この憲法の根本原理を大きく損なう改正案が提示されています。

現行憲法では「公共の福祉」として示されていたものが、自民党案12条・13条では「公益及び公の秩序」と変えられています。
これは多くの人から批判されていますが、なぜ批判されるかというと「公共の福祉」と「公益及び公の秩序」では全く意味合いが異なるからです。

東京新聞の記事(4月27日)に記載されている通り、「個人同士の関係よりも、国全体の秩序が優先される趣旨」へと変えられています。

「公共の福祉」とは、「自分と他者の人権が衝突した際にバランスよく調整する」(東京新聞記事)人権の調整原理であり、前提として諸個人の基本的人権を尊重するという考え方をベースにしています。

自民党案の「公益及び公の秩序」は、人権を享有する諸個人を超えた存在(つまりは国家)の利益・秩序ということであり、これに従うことを要求しています。
つまり、主権者たる国民の権利を尊重する以前に「公益及び公の秩序」を尊重しろということに他ならないのです。

なお大日本帝国憲法27条には、下記のような規定があります。
第27条 日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルヽコトナシ
    2 公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
「臣民(天皇の臣下たる民)は所有権を侵害されないよ。ただし法律で定める公益のために必要な場合を除いてね」という規定ですが、これと同じことが自民党案13条において所有権に限定されない基本的人権全般に適用されているのです。

このこと一つとっても、憲法の根本原則を大きく損なう不当な改正案ということができます。

他にも数多くのツッコミどころがありすぎて、いちいち取り上げることができません。

他の部分については別の批判者の方にお任せするとして、最後に一点だけ…。

それは、憲法改正条項に係わるところです。
自民党案100条1項
 この憲法の改正は、衆議院又は参議院の議員の発議により、両議院のそれぞれの総議員の過半数の賛成で国会が議決し、国民に提案してその承認を得なければならない。この承認には、法律の定めるところにより行われる国民の投票において有効投票の過半数の賛成を必要とする。
現行憲法第96条1項
 この憲法の改正は、各議院の総議員の3分の2以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。
自民党案と現行憲法を比較してお分かりのように、憲法改正のハードルが下げられています。
つまり、自民党はこの改正案が可決されたあとも、憲法を追加改正する気満々ということです。

自民党は憲法全般に手を加えてきていますが、これをすべて通す気はないと思います。

というよりも、彼らが改正の中心にすえている安全保障・緊急事態・憲法改正関連の条項を可決の必須条件として、これを通すことに力を注いで、それ以外のところは可能であれば通すつもりだと思います。

なかには、とりあえず変えてみましたという「どうでもいいけどとりあえず改正」という感じのものも見受けられますので、ほとんど犠牲にしても本丸だけは通すつもりでしょう。

自民党サイトの保利耕輔・自民党憲法改正推進本部長のインタビュー記事を見てみても、自民党がどこを本丸と見据えているかが判ると思います。

【関連情報】
今こそ自主憲法の制定を(自民党¦Lib Dems)
保利耕輔・憲法改正推進本部長インタビュー(自民党¦Lib Dems)

それに、改正条件を緩和できれば、徐々に自分たちの思惑通りに改正を進められる可能性が高まるというものです。

それにしても、新しい時代に即しつつ憲法の根本原理を保持することが可能だと、うまいこと偽装したつもりでも、多くの人がその危険な思惑を看過してしまうお粗末な改正案です。

こんなものがすんなりと「各議院の総議員の3分の2以上の賛成」による発議を経て、「特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成」を得られると思っているのでしょうか?

ただでさえ、自民党の支持率は低いままですし、少なくとも「過半数の賛成」による「国民の承認」は得られそうにありませんね。


インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by mmwsp03f | 2012-05-07 16:57 | 政治・国際事情 | Trackback | Comments(0)

ツッコミどころ満載の憲法改正草案(その3)

さて、自民党による憲法改正草案(以下、自民党案)に対するツッコミ企画も第3段になってしまいました。

【基本資料】
自民党:日本国憲法改正草案対照表(PDFファイル)

今回は個別の条文について見ていくわけですが、ここでは多くの人が批判しているところは別の方に任せて、ちょいと違ったところから攻めてみたいと考えております。

まずは、自民党案第1条。
現行憲法では天皇を「国民統合の象徴」としか規定していないのに対し、天皇を「日本国の元首」としているところが大きなポイントとなっています。

前々回、私はこの自民党案を「懐古趣味・復古主義的色合いが強い」と申し上げましたが、それが色濃く現れているのがこの第1条案です。

実はこれ、大日本帝国憲法4条の「天皇ハ国ノ元首ニシテ」を復活させたものなんですね。
通常、国際政治の慣例上、君主国(国民を主権者とする場合含む)では国王(天皇)が国家を代表する元首とされるのが一般的で、「元首」という文言が付け加えられたからといって主権が君主に存在することを示しているわけではありません。

それなのに何でいまさら「元首」?とか思うわけですが、自民党の諸氏は戦前に対するある種のノスタルジーをお持ちなのかもしれませんね。

ちなみに、自民党案では天皇の国事行為の範囲が拡大され、天皇家の負担増となっています(第6条5項で、「地方自治体その他の公共団体が主催する式典」への出席が義務化されています)。
その代わりなのかわかりませんが、皇室財産についての規制が憲法の条文において緩和されています。
第8条
 皇室に財産を譲り渡し、又は皇室が財産を譲り受け、若しくは賜与するには、法律で定める場合を除き、国会の承認を経なければならない。
現行憲法では、皇室財産については一律「国会の議決」を必要としているはずですが、実は皇室経済法2条において都度国会の議決を必要としない例外が定められています。
わざわざ自民党案で「法律で定める場合を除き」と付け加えているのは、現行憲法の規定上、この皇室経済法2条が憲法違反となる恐れがあるからでしょう。

皇室経済法2条は、これまで自衛隊の憲法解釈において自民党政権が行ってきた解釈改憲と同じ論理に基づくものですが、流石に自衛隊同様に憲法の裏づけがないのは不味いということで、今回の自民党案に盛り込んできたものと思われます。

そして、これまで何度となく議論が繰り返されてきた問題の現行憲法9条にかかわる部分については、わざわざ「第2章 安全保障」と章立てとし、その規定を3か条に増やしています。
つまりそれだけ力を入れているということの証左なわけですが、その割には条文の内容がお粗末極まりない。

一言で言ってしまえば「矛盾だらけの改正案」といったところですね。

現行憲法9条の「武力による威嚇又は武力の行使」を原則生かして「武力による威嚇及び武力の行使」としていますが、この一つを見ても自民党がいかに迂闊な政党であるかが判ろうというものです。

「又は」というのは、この場合、前後の言葉の選択的関係を示すものですが、「及び」は全くの並列的関係を示す語です。
したがって、自民党案では武力による威嚇・行使ともに否定ということになります(つまり、武力の保持の全否定)。
現行憲法よりもさらにハードル上げちゃったねってことです。

そのくせして、「自衛権の発動を妨げるものではない」とか「国防軍」規定を盛り込んでいるという体たらく。
頭悪いですね。自民党。

ついでに言うと、軍事力を持つということはそれだけで十分「武力による威嚇」になりますし、自衛権を行使するということは「武力の行使」になるんですがね。
日本語わかってんのか。自民党。

それはさておき、9条に関する自民党案で特に注意しておきたいことが2点あります。

まずは、条文中に頻繁に登場してくる「法律の定めるところにより」とか「法律が定める」という文言。

もうお気づきの方も多いと思いますが、これは大日本帝国憲法の条文によく登場する「法律(命令)ニ定メタル場合」とか「法律(命令)ノ定ムル所」と同じです(同様の表現として「法律ノ範囲内ニ於テ」というのもあります)。
実は、この文言は「臣民ノ権利義務」に関する規定の中で頻繁に登場する文言なのですが、それが9条関連の条文案の中に頻繁に登場してきます。

これは、何を意味するのか?
単純に考えれば軍を法律の統制下に置くということになるのでしょうが、実は事はそう単純ではありません。

これは、立法によって憲法の拘束を受けることが無いようにするための措置なのです。
つまり、国会で安全保障に関する法律が通ってしまったら、憲法はそれを止めることができないということです。

9条の2、2項では国防軍は「国会の承認その他の統制に服する」とありますが、それはあくまで「法律の定めるところにより」であって、国防軍の行動の自由を大幅に認めた法律が定められれば、逆に国会が法律の足かせによって国防軍を統制できなくなります。

したがって自民党案の「法律の定めるところにより」は、国防軍を統制するよりも法律を根拠として軍に対する統制を緩和することを目指したものであると考えられるのです。

そしてもうひとつは、自衛隊の国防軍改組によって徴兵制導入を企図していると見られる点。
第9条の2 4項
前二項に定めるもののほか、国防軍の組織、統制及び機密の保持に関する事項は、法律で定める
第9条の3
国は、主権と独立を守るため、国民と協力して、領土、領海及び領空を保全し、その資源を確保しなければならない。
上記の自民党案にある条文のうち、下線部分は要注目です。

憲法の条文に国防軍の組織についての基本的な定義も無く、「法律で定める」として逃げているところが、解釈改憲を繰り返してきた自民党らしいところです。

憲法案で徴兵制を明文化してしまえば、国民の反発必至で憲法案が潰れかねないと思ったのでしょう。
だから、こういう姑息な方法を取ってきているわけです。

この憲法改正草案が通った暁には、「国民と協力して」主権と独立を守るための国防軍を組織するための徴兵制導入を図ろうという意図が見え見えです。
まったくもって潔くありません。

これだけ見ただけでも、危険な改正草案であることが判ると思います。

この後の条文にも危険がいっぱいなトラップが仕掛けられています。

ということで、この自民党案に対するツッコミ企画はまだ続きます。


インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by mmwsp03f | 2012-05-06 11:24 | 政治・国際事情 | Trackback | Comments(0)

ツッコミどころ満載の憲法改正草案(その2)

さて、前回の続きです。

今回は具体的に自民党が「時代の要請、新たな課題に対応した」と自画自賛する日本国憲法改正草案(以下、自民党案)の内容に踏み込んでみたいと思います。

【基本資料】
自民党:日本国憲法改正草案対照表(PDFファイル)

まず一番に気づくのが、憲法前文が簡素化され、短くなっているという点。

毎年毎年、憲法前文を暗記させられている中学生にとっては大歓迎といったところですが、短くなったから良いというものでもありません。

現行憲法の前文は、「長ったらしくてくどい」ので簡素な表現にまとめましたといいたいところなんでしょうが、この簡素化された前文の自民党案は現行憲法が最も重視する基本理念を大幅にカットしたものとなっています(当たり前のことですが、前文での基本理念のカットに対応して、条文も変えられています)。

たしかに現行憲法の前文は正直「長ったらしくてくどい」、お世辞にも読みやすくわかりやすい文でもありません。
ですが、憲法全体の骨子となる基本原則(国民主権・基本的人権の尊重・恒久平和主義・対等外交の原則)を明示した非常に重要な文章となっているのです。
自民党案では、そこいら辺の理念・基本原則がおろそかにされています。

それに自民党案は、現行憲法の前文に比べて重みがありませんね。
なぜそのような理念を憲法に盛り込むに至ったかという理由も明示されず、「長い歴史と固有の文化」だの、「自由と秩序を重んじ」だの、「美しい国土と自然環境を守り」だの、「教育や科学技術の振興」だの、「活力ある経済活動を通じて国を成長」だの、単にご立派な言葉を列挙しているだけの空文でしかありません。

まったくもって考え抜かれた文章とはいえず、言葉は悪いですが「薄っぺらな文字の羅列」というのが私の抱いた感想です。

それに対して現行憲法の前文は、不恰好でも我々国民に対して理念を訴えかける真摯さが感じられます。

長年にわたって「憲法改正」を訴えかけてきた割には、前文からして自民党案はお粗末なものと言わざるを得ませんね。
谷垣総裁は、この自民党案の「出来栄えに胸を張っている」そうですが、内容をちゃんと精読していないんだろうなと思わざるを得ませんね。

ふつう、最初に出した憲法改正草案には、どこかしら不備があるかもしれないと考えると思うのですが、そういうことは考えず自己陶酔の世界に浸っているのかもしれません。

そりゃー、危険極まりない。

実際に、各条文案に目を通していただけば判りますが、かなり危険な仕掛けが仕組まれていたりします。

そこいらのところは、また次回ということで、もう少し続きます。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by mmwsp03f | 2012-05-04 23:21 | 政治・国際事情 | Trackback | Comments(0)

ツッコミどころ満載の憲法改正草案

日本国憲法施行65周年に当たる5月3日に先駆けて、自民党ならびにみんなの党、たちあがれ日本などの旧自民党系の議員が多数を占める保守系政党が、相次いで改正憲法草案を公表しました。

このうち、条文として内容を明示しているのは自民党だけで、みんなの党やたちあがれ日本の改正憲法草案は未だ構想段階で、具体的な形は出来上がっていないようです。

自民党は、結党以来憲法改正を綱領(政党の基本方針・目標などを明示したもの)に掲げ、前世紀より党内において憲法改正のための研究会を組織して討議してきた模様です。
言ってみれば、自民党は筋金入りの改憲推進政党ということができます(そこが他の保守系政党とは違うところでしょう)。

自民党は年季が入っている分、他と差別化するためにも単なる構想としてではなく条文として草案を明示していますが、問題の草案の内容についてはどうでしょうか?

下記のリンクの中に自民党のWebページがありますので、そこからPDFファイルを開くと憲法改正草案が現行憲法の条文と併記して載せてありますので、そちらをごらんいただければ内容を確認することができます。

【関連情報】
「憲法改正草案」を発表(自民党 Lib Dems)
自民 憲法改正案を発表(NHK NEWSWEB)
自衛隊は「国防軍」 自民が新改憲案 天皇 日本の元首(東京新聞 TOKYO Web)
福島党首 自民憲法改正案批判(NHK NEWSWEB)
憲法改正の基本的考え方を発表(みんなの党)
4月25日・たちあがれ日本 「自主憲法大綱案」発表記者会見(YouTube たちあがれ日本チャンネル)
各党の憲法改正案 自民、みんな、たちあがれ 改正案を比較すると…(産経ニュース)

さて、皆さんはこの憲法改正草案ご覧になって、どのように思われたでしょうか?

みんなの党やたちあがれ日本は草案が具体化されていない分、それほどではありませんが、自民党はその内容に関してかなりの批判が寄せられています。

その批判は、主に天皇を国家元首と明記、国民が尊重すべきものとして日章旗を国旗とし君が代を国歌と明示、憲法9条がらみの安全保障問題(自衛隊の国防軍改組)、「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」として再規定といった点に集中しているようです。

上記のリンクにある東京新聞のWebサイトの記事によれば「人権より秩序優先の改憲案となった」とあり、保守色の強い内容になっているとされています。

当然のことながら、社民党と共産党はこのような自民党の改正草案に噛み付いています。

私の場合は噛み付きはしませんが、そもそもの理念の段階で自民党の改正草案は評価に値しないものであると考えています。
ついでに言うと、保守色が強いというよりも懐古趣味・復古主義的色合いが強いといったほうが正しいような気もしますね。

それではどこが評価に値しないかというと、上記のリンクにも載せている自民党のWebページに記載されている内容をごらんいただきたいのですが、そこには下記のようなことが書かれてあります。
抜き書きした部分が、主に私が批判するポイントになります。
占領体制から脱却し、日本を主権国家にふさわしい国にするため…
未だに彼らは、日本は連合軍の占領下にあり、自主的な憲法を制定しないと実質的な主権国家に成り得ないと考えているようです。
まあ、自分は保守だといっている人は、現行憲法は強制されたもので真に自立するには自主的な憲法を作るべきなんて言っているんで、こういうズレた主張をするのは当然なのかもしれませんが。
主要国を見ても、…憲法改正を行っています。しかし、日本は戦後一度として改正していません。
他国が何回改正しているかなんていうのは正直どうでもいいんですよ。
日本の政治家や官僚は、自分たちの政策の有効性や正当性の根拠として他国との比較というのをよくやります。
他の国がやっているのに日本でやっていないのはおかしいとか、他国で有効性が実証されているから日本でもやるべきだとか言ったりするわけですが、日本独自の自主憲法制定するのに、何であんたらは他国のことばかり引き合いに出すの?とか、ひねくれた私は考えたりするわけです。
日本国民自らの手で作った真の自主憲法となります。
正しくは、「自民党が自らの手で作った憲法草案が国民投票で承認されれば、国民に承認された自主憲法になりうる」です。
「真」の意味を履き違えんでほしいですね。
「国民自らの手で作られた真の自主憲法」は、国民の直接参加によって創られた憲法草案を国民自身が承認した場合のみです(まあ、実現不可能ですが)。

具体的な条文の内容についてなのですが、ここではすべてを網羅的に扱うことは無理なので、とりあえず部分的に気になるところをピックアップして見ていきたいと思います。

とりあえず、本日はこれまで。

次回に続く…

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by mmwsp03f | 2012-05-03 21:47 | 政治・国際事情 | Trackback | Comments(0)

予算と組織の一般的傾向

このブログの過去の記事を読み返してみたのですが、そこで「予算」について言及したところを改めて読んでみて少々思うところがあったので、ツィッターでつぶやいてみました。

それが下記の枠内の記述(ちなみに、ハッシュタグは省略)

予算先行主義の弊害(その1)。あらかじめ決められた予算額を前提とすると、達成目標が予算額に拘束されるため、その範囲内でしか企画を立てられなくなる。つまり、最初から可能性の範囲を狭めてしまうため、より効果的な施策を講じることが非常に難しくなる。

予算先行主義の弊害(その2)。商品企画にしても事業企画にしても、予算範囲を確定せずに立案することでより効果的なアイデアを捻出ことができる。なぜならば、予算に拘束されない分、自由な発想で企画立案を行うことが可能だからである。

予算先行主義の弊害(その3)。もちろん自由な発想で企画を立案しても、実現可能性・対費用効果を考えた場合、ボツになるアイデアは出てくる。それは企画立案後に予算範囲を明らかにした後に精査していけばよい事である

予算先行主義の弊害(その4)。自由な発想の元で立案された企画には当然、自由な分、粗が目立つものである。しかし、それを予算と照らし合わせムダな部分やコストカットできる部分を精査することで、より質の高い企画へと発展させることができる。

予算先行主義の弊害(その5)。すでにある予算を前提として企画を立てた場合、予算に合わせて何をするかを決定するので、まずもって実現目標にあわせてムダな部分やコストカットできる部分を精査するということを避けるようになる。

予算先行主義の弊害(その6)。すなわち予算額を前提とすると、その金額にあわせてなんら工夫をするということがなく、あらかじめ限界が定められてしまうことになるため、実現目標の設定も必然的に低く抑えられるようになる。

予算先行主義の弊害(その7)。しかも、目標設定を低くすることにより余剰予算が生じることが多く、その余剰予算は大概、無駄な経費として費消されることになる(実は、現在の国や地方公共団体の予算システムの弊害はここにある)。

予算先行主義の弊害(その8)。確実な予算配分によって確実な事業成果を達成することを目指すあまり、予算先行主義を合理的な事業推進の方法と考える傾向が顕著だが、そこから得られる果実は実に少ないものと考えるべきである。

予算先行主義の弊害(その9)。そもそも事業計画は予算を費消することが目的ではなく、予算を活用して組織を効率よく運営することにある。予算の意義とは、「いくら必要」ということにあるのではなく、「どのように配分するか」ということにあると思う。

過去の経験をもとに考えてみても、大概何かやるときは、あらかじめ予算額が決まっていて、その範囲で仕事の目標を設定するということが、組織の常態となっています。

人間というものは、あらかじめ限界が設定されていると、その水準よりも低い目標を設定する傾向があります。

それは「確実を期す」という言葉で正当化されますが、実際には予算超過のリスクを回避するというよりも、自らが実現すべき目標水準を低く設定する言い訳となることが多分にあります。

「これだけの予算しかないから、これだけのことしかできません」という具合ですね。

そして達成目標を低く設定することによって、大抵の場合消化しきれない予算が生じることになります。そこでよく行われるのが、経費の無駄遣いです。
既存の業務と関連があるように見えて、実際には必要のない業務を創造することによって予算を消化するというように、あくまで当初、立案された計画との関連性を偽装する形で無駄遣いが行われるのです。

よくありますよね。年度末が近づいてくると増える道路補修工事なんかはその典型ですよね。

これは予算消化をしないと翌年度から当該予算が削減されるという「予算の単年度消化の原則」の悪弊だったりします。

こういった組織のムダを一般法則として提唱した古典的著作として有名なのが、行政学・経営学の分野で名著として知られている『パーキンソンの法則』という本です。
これはなかなかタメになる本なので、読んだことがないという方は是非とも読んでみてください。

パーキンソンの法則 (至誠堂選書)

C.N.パーキンソン / 至誠堂


ついでに、下記の本もおススメ。

ピーターの法則

ローレンス・J・ピーター / ダイヤモンド社


とりあえず今回は、限られた資源を有効に活用するためには予算先行で考えるのではなく目標設定を先行し、予算を適正に配分するように工夫をすべきではないかということを、企画立案の方法(いちおう組織運営の方法にも関わってきますが)という視点から考えてみました。


インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by mmwsp03f | 2012-04-23 12:29 | 経営・経済事情 | Trackback | Comments(0)

グロービッシュの効果

日本では、4月は新入学・新社会人デビューの季節なわけですが、これから新生活が始まるにあたって、ちょいと気になるのが「英語」問題。

ここでいう「英語」問題とは、新入生・新社会人に限らず日本人の多くは実践的な英語が使えないという問題と私が勝手に定義しておきます。

さて、以前このブログでも取り上げました巷で話題の企業の「英語公用語化」によって、それまで「英語なんかできなくったって、仕事は出来るからやらなくったっていい」と考えていた人たちも、「このまんまじゃクビになっちゃうかも…」、「世の中の動きについていけなくなっちゃうかも…」と「英語」を遅ればせながら、かなり意識するようになってきています。

ファーストリテイリングなどは今年3月に「英語公用語化」を実現するようなことを言っていましたが、このような動きに追随する企業が増えてきていますね(ところで、このファストリの「英語公用語化」って、うまくいってるんですかね?)。

これからは海外に積極的に進出し、外国人と取引するんだからビジネスパーソンとしては国際公用語となっている英語は話せなきゃいけないというので、英語の勉強にいそしんでいることと思います。

だけど一朝一夕で話せるようにはなりませんよね。
数ヶ月勉強しているけど、全然話せるようにならないし、相手の言っていることも聞き取れないという人って、かなり多いと思います。

なかなかうまくいかないときには、やはり発想の転換が必要なのかなと思います。

そこで要注目なのがグロービッシュ(Globish)という英語活用法。
グロービッシュとはGlobalとEnglishをかけあわせた造語で、非ネイティブ(日常的にその言語を使ってコミュニケーションをしていない人)向けの簡単英語のことです。

グロービッシュの基本的な考え方や会話例等を示す代表的な本。
グロービッシュは、語彙力のアップや多様な表現を覚えることを目指すのではなく、よく使われる単語1500語とその派生語に絞って簡単な表現で相手に伝えるコミュニケーション・ツールとして英語を捉えているところに特徴があります。
語彙を増やす、多様な表現を覚えても、実践的な会話の場面で使えなければ意味はない。すぐに出てくる簡単な表現で間違えてもいいから、とにかく自分から相手に伝えようとする姿勢が大切ということが強調されています。
【関連情報】
■著者のブログサイト→非ネイティブのビジネス英語術
■出版元の紹介ページ→通じなかった英語が一変する 驚異のグロービッシュ英語術(高橋書店)

当然のことながら、こういう方法は非常に安易であると批判が多いことも事実。
ネット上でもグロービッシュの学習効果について疑問・批判を提起しているサイトは数多くありますが、雑誌・書籍などでも批判的な評価を掲載しているものがあります。
その代表的なものが、下に示す晋遊舎という出版社が出している雑誌。

この雑誌には、巻頭特集として「巷でうわさの簡単英語に白黒つける! グロービッシュ辛口採点簿」というものが掲載されています。
ここでは、グロービッシュは「日本人には向いていない」という結論が示されています。
英語教育の専門家とネイティブ(国籍不明だけど、恐らくアメリカ人)のグロービッシュに対する評価、現役大学生のグロービッシュ学習体験による英会話力の変化について掲載されています。

【出版元の雑誌紹介】
英会話完全ガイド 非ネイティブの英会話(晋遊舎)

さて、この雑誌の特集を読んでみて私の感想はといいますと、書かれていることには一理あるものの、何だか無理やり「日本人向きじゃない」とか大して効果がないという結論を導いている感が否めませんでした。

確かに、1500語を覚えれば会話ができるかという点については、自分から発話することはできても相手の言っていることが理解できるかという点については疑問が残ります。

ただしグロービッシュの目的は、まず相手に伝わる平易な表現を覚えることにあり、普段英語で話しかけられても、自分の言いたいことをいえなかった状況を打開することにあります。

関口雄一さんが『驚異のグロービッシュ英語術』の中でも書かれていますが、ネイティブと同じレベルの会話力を身につけることを目標にしてしまうと萎縮して失敗を恐れるようになり、なかなか会話に踏み切ることができないばかりか、インプットによって知識を増やすばかりで、それを効果的に活用してコミュニケーションをとることがかえって難しくなります。

つまり、「まず『通じれば十分』と気楽に向き合うこと」から始めることで、英語への苦手意識を克服することが英語上達の第一歩だということです。

英語教育の専門家(三田教育研究所の平田周さんという方)からの指摘に基づくグロービッシュに対する「日本人の弱点をカバーするようには出来ていません!」という評価は、少々的外れかなと思います。

「文法や慣用句に対するフォローは特にない」と書かれてありましたが、『驚異のグロービッシュ英語術』の中では簡単に文法の基本についての記載もありました(ただし、慣用句についてのフォローは特になし)。

いわば、それまでの英会話に対する苦手意識を克服するための手段であって、グロービッシュを提唱する人たちも英会話がすべてフォローされるなどとは考えていないでしょう。
関口さんは、本書において「まずはグロービッシュ単語に絞って、話す力をアップさせる」ことを提唱していることからも、グロービッシュ後のことを想定していることが容易にわかります。

あと、ネイティブのジョーンズさんもネイティブの会話表現はわからないだろうけど、ちゃんとネイティブには言っていることが伝わると評価していますし、会話が苦手な現役大学生が1ヶ月間グロービッシュをやってみたら、若干会話力がアップしたという実験結果が示されていて、まったく日本人に不向きというわけではないというのが実証されています。

それなのに、日本人には不向きと結論付けるのはおかしいと思いません?

なんだか、グロービッシュは役に立たないという結論ありきで過小評価しているように思えるんですが…。

いずれにせよ、英会話への心理的なハードルを下げ、とっつきやすくするという点から、グロービッシュはそれなりに効果が期待できると思います。

だけど、先にも述べたとおりグロービッシュはあくまで英会話のベースとして考えるべきもので、それで完結してしまうことがないようにすべきだとは思いますが…。

自分の言っていることが通じるようになれば会話が楽しくなってきて、自分からもっと色々な表現を覚えようとするでしょうから、そんな心配は杞憂に終わると思いますけどね。


インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by mmwsp03f | 2012-04-09 18:33 | 教育 | Trackback | Comments(0)

死に至る?コーヒー嗜好

エキサイトに掲載されていたコラムに、「コーヒーを飲みすぎると死んじゃうかもよ」っていうような内容の記事が掲載されていましたので、ちょっとご紹介。


「コーヒー飲み過ぎ」で死に至る?知らない危険な落とし穴(美レンジャー=エキサイトニュース)


まあ、よくあるコーヒー不健康論の一種なんですが、コーヒーに含有されるカフェインの過剰摂取が健康を損ね、死に至る場合もあるとか書かれてあり、コーヒーをよく飲むコーヒー好きは「死に至る病」にかかっているとでも言いたげな様子。

ところが、このコラムの筆者が「お茶やコーラ、カカオなどにも含まれています」と書いているように、別にコーヒーに限ったことじゃなく、カフェインを含む嗜好品全般で過剰摂取は不健康の元と言っているに過ぎません。
カフェインの含有量はお茶のほうが多いのに何故かコーヒーをネタしているという不自然さ。

それにコーヒー飲みすぎで死んだっていう人(つまり死因がコーヒーの飲みすぎ)って聞いたことないんですけどね。
耳にすることがないということは、主な死因がコーヒーではないか、非常にまれなケースとしてコーヒーの飲みすぎで死んだ人がいるということなんでしょうね。

そんなレアケースを持ち出して、「『コーヒー飲み過ぎ』で死に至る?」というタイトルにして、内容もコーヒーに限定しているということは、そのほうが読者が記事に食いつきやすいからなんでしょうね(そんなことよりも、疲れているからとドリンク剤を過剰に摂取するとか、栄養を一緒に補給とかいって薬と一緒にドリンク剤を飲むほうが問題だと思いますけど…)。

それとも、このコラムを書いている人はコーヒー嫌いなんですかねとか邪推してしまったりして…。

過去にもコーヒー嫌い(というよりはコーヒーの不健康さを頑なに信じていた)で、コーヒーの害悪を実証しようとした人がいます。

私の記憶が正しければ、それはデンマーク王のクリスティアン2世で、コーヒーを飲み続ければ早死にすると信じていた彼は、自分の主張が正しいことを実証するためにある実験を思いつきました。

彼は臣下に命じて、監獄に収容されている囚人のうち、とびっきり健康な者を二人連れてこさせて、一人には紅茶、もう一人にはコーヒーを毎日必ず飲み続けることを命じ、それ以外の飲料を採ることを禁じました(たしか、水はOKだったと思います。そして、この二人の健康状態は、毎日宮廷の医師がチェックすることになっていました)。

クリスティアン王は、いわゆる人体実験ってやつ(しかもすんごく長い期間がかかる)をやろうとしていたわけです。

とはいえ、王様はこの実験結果を見ることなく先に逝去してしまうことになります。

そうなると、実験の行方が気になるところですが、本来なら言いだしっぺが死んじゃったら実験中止となるところなんですが、その後も決着が付くまで実験は継続されたそうです。

よくやるよ…。

そして…。

ココまできて、勘の良い読者の方はお分かりかと思いますが、コーヒーを飲み続けていた囚人が最も長生きしたというのがオチです(この逸話はわりかし有名で、過去にマンガにもなっているのですが、何故かググってもヒットしません)。

適切に飲んでいればコーヒーは害悪ではないし、ましてや主な死因になるようなことはないわけですが、こういう不安を煽るような記事っていうのもどうかと思うんですよね。

たしかに薬との「飲み合せ」で体調不良になりますし、その点の啓蒙は必要なんですが、度を過ぎた警鐘というのはどうも信用ならんですね。

コーヒーも記事も何事も…

教訓: 「薬も過ぎれば毒となる」・「過ぎたるは猶及ばざるが如し」

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by mmwsp03f | 2012-03-25 10:48 | 日々雑感 | Trackback | Comments(0)

奇妙な竹中ロジック

「ウォールストリート・ジャーナルJAPAN」のツィートで、東電の国有化問題に関する竹中平蔵氏(慶應義塾大学教授で小泉政権時代の経済財政・金融担当大臣)のインタビューについて告知されていたので、ちょっと覗いてみました。

【関連情報】
【インタビュー】東電処理は足利銀行モデルに、完全国有化が必要=竹中平蔵慶大教授(ウォールストリート・ジャーナル日本版)

読んでみた感想を一言で言うと「変なレトリックにより粉飾された奇妙なロジック」ってところですかね。

それについては、先にツィッターでひとりごとをつぶやいておきましたんで、まずはそちらをご覧あれ。
「『実質的』国有化という言葉がよく使われるが、これはおかしい。名目的に、完全な国有化が必要だ」というのもかなりおかしい RT @WSJJapan: 【インタビュー】東電処理は足利銀行モデルに、完全国有化が必要=竹中平蔵慶大教授 http://on.wsj.com/wdKkNm

金融は特殊だと言いながら足利銀行を例にしたり、実質的国有化じゃなく名目的完全国有化と言ったり、主張がチグハグ>【インタビュー】東電処理は足利銀行モデルに、完全国有化が必要=竹中平蔵慶大教授 - WSJ日本版 http://on.wsj.com/wtyo3B

竹中平蔵氏の独特な思考回路では,矛盾のない理路整然とした主張に思えるんだろうけど,一般的な思考回路の持ち主には変なことを言っているとしか思えない。

竹中氏は,要するに,公的資金を投入して東電を維持するのではなく一時的に完全国有化にして,その間完全に国がコントロールし,国が有用な経営陣を据えることができた時点で民間に売っぱらうということを言いたいようだけど,表現がおかしいので,意図するところの半分も伝わらないだろうなあと思う。

ところが,その竹中氏のレトリック自体が奇妙なので,意図が正確に伝わったとしても多くの批判を浴びることは避けられないだろう。

上のツィートの中で「金融は特殊だと言いながら足利銀行を例にしたり」という件がありますが、これはちょっと勘違いしていたようで、竹中さんは「金融では預金保険法102条によって救済方法が定められているのに対して、電力業界ではそのような法律による規定がない」という意味で「特殊」と言っていたんですね。

ちょっと「金融業界での救済事例は電力業界には当てはまらない」という意味と誤解していたんですね。
いやあ、お恥ずかしい。

その他のところについては、そのような誤解はないものと思います。

さて、竹中氏のインタビューにおける主張の中でまず俎上にあげられるのが、「実質的」国有化と名目的な完全国有化という変な表現。

「名目的」の意味を履き違えてないかい?と思うのと同時に、この場合の表現として「実質的国有化=名目的民営」で、竹中氏が言うところの完全国有化とは「名目的」なものではなく「一時的」としたほうが適当だと思ったんですよね。

これって経済学上の意味での名目(または実質)にも当てはまらないんじゃないかと思うんですが、いかがなもんでしょう。

【関連情報】
経済統計の基礎知識―名目と実質について(農林中央金庫総合研究所)―PDFファイル

そして竹中さんは、東電を100%国有化せよと主張しているわけですが、その際の具体的な運営方法が明示されていないのです。

まあインタビューなんで、あんまり細かいところまでは説明できなかったのかもしれませんが、それにしたって「議決権は100%国が持つべきだ」と言っておきながら、国のどの機関が議決権を持つべきなのかが明確ではないのはいかがなもんでしょう。

経済産業省が東電牛耳っちゃうの?
それとも国会が議決権掌握するの?
まさか内閣(閣議)によって東電を統制するの?

なんか、いずれの方法もうまくいかなそうな気がするのは私だけですかね?

それで竹中さんはこんなことも言ってたりします。
国有化している間、つまり議決権を100%持っている間に経営者に責任を取らせ、新しい経営者を入れ、必要なリストラを全部行う。その上で、それを民間に売ればいい。ストラクチャーは非常に簡単だと思う。

なんか簡単だとか言っているけど、本当なの?とか思ったりして…

しかも民間に売るとか言っているけど、どっか買ってくれそうなところあるんかい!とかツッコんでみたりして。

他にもツッコみどころは多々あれど、あんまり書き綴っていってもしょうがないんで、肝心要な「完全国有化」ってところに関する主張の内容をツッコンで終わりにしておきたいと思います。

東電の経営を担う人材を外部から調達するのは難しいのでは?との質問に対する竹中さんの言い分。
だからこそ、100%国有化する必要がある。そうすれば、政府が任命責任を完全に握ることができる。政府が全責任を負うということだ。全面的に責任を負っている国が人選をして、(登用した人材が)ダメだったらクビにして、いい人材が出てくるまでそれを続けるということだ。

 今のような形だと、いったいだれが責任を負っているのか分からない。最終的な責任は東京電力にあるわけだが、責任の所在は非常に不明確だ。公的な機能を負っている以上、電力会社そのものをなくすわけにはいかないのだから、今回は国が全部責任を持つ。そのような形で責任の所在を明確にしなければならない

肝心なところは太字にしておきました。

やたらと「政府が全責任を負う」ということを強調しております。
つまりは、言い換えると東電は政府の言いなりにせよってこと。
人事権も政府が掌握して、ダメな経営者は首をすげ替えるなんてことを言っています。

この方は人財育成の専門家ではないので、こんなことを平気で言っちゃったりしているようですが、外部からがんじがらめに規制され、責任をもたない経営者が有用な人財に育つわけありません。
政府の言いなりな訳ですから、イエスマンを養成せよと言っているようなものです。

「ダメだったらクビにして、いい人材が出てくるまでそれを続ける」って、いつまで?
そんなやり方じゃあ、いい人財なんて現れんでしょう。

外部から調達できない前提での話で、次々にクビにしていったら、それこそ東電に人いなくなっちゃうよ。

竹中プランに従っていたら、「国有化はするが、それは一時的なものだ」という竹中プラン第2段階(東電の民間への売却)に移行することはおそらく不可能でしょう。

それこそ実質的な国有化、ひいては恒久的国有化になっちゃいそうなツッコミどころ満載のロジックでした。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by mmwsp03f | 2012-03-11 23:52 | 社会問題一般 | Trackback | Comments(0)

ロシアン・マイナー・クラシック音楽の祭典

この度も、マイナーなクラシック音楽の普及に尽力されているオーケストラ・ナデージダのシーズンがやってまいりました。

ということで、今回も定期演奏会に行ってまいりました。

今回の会場は、これまでの小田急線狛江駅前の「狛江エコルマホール」からJR渋谷駅から5~8分ぐらいのところにある「渋谷区文化総合センター大和田」の4階にある「さくらホール」というところに移りました。

渋谷駅から国道246号線を越えたところにある日本経済大学渋谷キャンパスの南の向い側にあります。
場所は下の地図のとおり。

演奏会で取り上げるのはマイナーな作品ですが、場所は狛江というマイナーどころから渋谷という超メジャーどころに鞍替えです。

さて、今回の曲目ですが、オーケストラ・ナデージダの公式サイトにあります通り、オール・ロシアン・プログラムで、みーんな日本ではなじみのない作曲家ばかり。

実のところ、マイナー名曲好きな私も聴いたことのない作品が2曲あります。

この度の公演でもっとも楽しみにしていたのがグリエールのハープ協奏曲で、親しみやすい旋律とハープの柔和な美しい音色が十二分に生かされた名曲です。

ソリストの津野田 圭さんはおしなべてよい演奏で、ソロの部分では聴き惚れてしまいました。

2曲目がボリス・チャイコフスキー(かの有名なピョートル・イリイチ・チャイコフスキーとはまったく無関係の人)のクラリネット協奏曲。

この曲は第1楽章がゆったりとした叙情的な曲で、第2楽章は30%ショスタコーヴィチ、第3楽章は70%ショスタコーヴィチっていう按配な感じ。
オケの編成がちょっと変わっていて3管編成、といっても管楽器はソロのクラリネットを除いてトランペットだけが3本。

ソリストのジョン・ヒクソンさんは、なかなか大きくて体格のいい人で、その身体から予想したとおりのパワフルな音色を響かせておりました。

さて、トリのミャスコフスキー交響曲第5番ですが、これがちょっと曲者で、テンポ取りを間違えると崩壊してしまいそうな危うさがあったりします。
曲自体は叙情的で、2楽章だか3楽章はなんとなくリムスキー・コルサコフをイメージさせるようなロシア民謡をベースにしたかのようなフレーズが登場してきたりして、あーロシアの曲だなあと実感できると思います。

この定演で取り上げられた曲はすべてCDが発売されていますので、おうちで聴くこともできます。
ミャスコフスキーなどは全27曲の交響曲を収録したアルバムも発売されていたりします。

■ミャスコフスキー交響曲全集(エフゲニー・スヴェトラーノフ/ソヴィエト国立交響楽団、CD16枚組)

Integrale Symphonies (Spkg)

Warner Classics


最後にアンコールでは、チャイコフスキーという名前を見て、有名なほうの曲と思ってこられた方がいると思うので・・・と指揮者の渡辺新さんの口上(客席から笑いが・・・)があった後、「悲愴」の第3楽章が演奏されました。

これがなかなかの爆演で、これで終わりだーという開放感からか、団員の皆さん思いっきり演奏されていたようです。

次回の定演では、有名なほうのチャイコフスキーのマイナーな曲(ピアノ協奏曲第3番)が用意されているという念の入れよう。
なかなか、楽しませてくれるオケですよね(笑。

インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by mmwsp03f | 2012-02-27 00:25 | HP(クラシック) | Trackback | Comments(0)

物議をかもす採用基準

去る2月2日に、老舗出版社の岩波書店がWeb上の「社員募集要項」で、2013年の社員募集における応募条件を「岩波書店著者の紹介状あるいは岩波書店社員の紹介があること」と公表したことが物議を呼んでいます。

この社員募集は、要項の中に「2013年度定期採用(経験者含む)」とあるように、既卒者を含むものとなっています。

【関連情報】
岩波書店-2013年度 社員募集要項(岩波書店著者・社員紹介)
岩波書店:就職応募条件に「社員紹介必要」(毎日.jp)
岩波書店、採用で「著者か社員の紹介必要」(YOMIURI Online)
岩波書店の「縁故採用」宣言 そんなに悪いことなのか(J-Castニュース)
大手出版・岩波書店、2013年度の社員応募条件に著者からの紹介状など挙げる(FNNフジニュースネットワーク、動画あり)

最近、あまりにも応募者が多いので「足きり基準」を懸命に考えて、それを公表した途端、世間からバッシングを受ける企業があとを絶ちません。

以前、キヤノンが在学校別の説明会受付をしていたことが問題となりましたが、今回はさらに一歩進んで「応募条件」に「縁故」を条件としていることで、厚生労働省が事実関係を調査すると重い腰を挙げる事態になっています。

読売新聞の記事では「事実上の縁故採用とも取られかねない告知方法」とありますが、「取られかねない」のではなく、明確に「縁故」を最低条件とする採用を明言しているのです。

FNNのテレビニュースで、岩波の採用担当者は「あくまでも応募の際の条件であり、筆記試験、面接試験を行って採用を決めています。入社に強い希望をお持ちの方には、門戸は開かれていると考えています」と主張しているようですが、「入社に強い希望をお持ちの方」でも、紹介がなければ入社試験を受けることすら出来ません。

このことをもって機会均等の原則に反するので問題だとする主張が出てきているわけですが、あらゆる企業が社員募集において採用条件を付けている時点で「機会均等」とはいえないので、その点は批判として的を得ているとはいえません。

では、何が問題かというと応募条件・採用条件の内容です。

先のFNNの取材に対して岩波書店の人事担当者は「採用予定人数が極めて少ないため、エントリー数との大きな隔たりを少しでも少なくするためです」と言っていますが、これは言葉を変えて言うと「採用予定人数に合わせて応募者を減らす」ということで、その真意は「そんなにたくさん応募されても人事が大変なだけだから、応募者が減るようにこのような条件を付けた」ということです。

つまり、人事の採用選考の負担軽減が大前提で、会社にとってどのような人財を欲しているのかは2の次になっているのです。

毎日新聞の記事には、「毎年採用は若干名なのに対し、応募は1000人に及ぶこともある。現在は、結果的に落とすための試験になっており、できるだけそれを避けるため」とありますが、落とすためだけの試験になっているのを避けるための方法としては非常に安易といわざるを得ません。

採用条件を付けること、それ自体は当然のことであって批判されるべきものではありません。批判されるべきなのは、その安易さなのです。

それに、これまでにも同様の基準で採用選考を行ってきて、いまこの時期に応募要項に明示してきたということは、応募者の足きり基準を明確化して人事の負担軽減を意図してのことと考えることが出来ます。

人事がもっとも労力を費やすべき、将来会社を担う重要な戦力を選定する方法を簡略化して楽をしようと考えているところが大問題だと私は思います。

それに、紹介をしてもらったということで著者に対して引け目を感じ、強く言うことが出来なくなったり、社内における派閥形成に利用されたりと著者と社員・社員間の関係における弊害も当然考えられるわけで、その点をまったく考慮していないというところがまた問題だったりします。

採用選考は、どのような人財が必要かを前提に採用基準・方法を考えるべきであり、人事はそのための労力を惜しむべきではありません。

それとも、岩波書店は「コネ」がある、またはコネをつくることに長けている人を会社にとってもっとも有能な人財の最低条件だと考えているのでしょうか?


インターネット広告の「トランスメディア」提供スキンアイコン # by mmwsp03f | 2012-02-05 09:45 | 社会問題一般 | Trackback | Comments(0)

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